寺という空間

昨日は少し時間がとれたので
ひとりで、鎌倉を散策した


扇ガ谷の海蔵寺
なかなか、いい空間だった


お寺にいって、その空間を楽しむのは、楽しい
この海蔵寺、記憶ではずっとまえは拝観をさせてもらえなかった
ように思う。とても手入れされてるなというのがわかる、庭や境内の
植物たち。凛とした空間となって、しかも明るい


鎌倉の寺の良さは、その静かな空間だと思う
前に、永井路子が谷にわけいるということで、音が不思議と
吸い込まれるのか、とても静かだと言っていて
へーと思っているが、少なくとも平地で街中にある寺に
比べたら、確かに静かだ
扇ガ谷もそうだけど、比企が谷の妙本寺であるとか、光則寺、瑞泉寺
私が気に入ってる寺は、谷のおくまったところにある


そこでみる、明るく、静かな空間は、忘れていたものを思い出すとか
こりかたまった、考えをほぐしてみたり、頭のなかにすきまを
作って、自由に発想、想像をめぐらせたりというときに
助けになるように思える


寺という空間は、おそらく気持ちを静めて、自分をみつめようという
人が集中して考えるということの助けとなるような、いくつかが
あるのでしょう
結界、門があって、俗世間とは離れた空間にしてること
そして、静けさでしょう


先日のこのブログで、人間、成長できることを人生の目的と
いっていいと書いているが、そうであるなら、寺の静けさを愛でて
自分をみつめるということは、まさに成長へのステップの大事な
ところとして、思われていいし、空間自体が価値あるものに
思えてくる


海蔵寺の本堂の向こう側に、蓮が咲いてる池と、その池に臨む
おそらく茶室として使えるような、いい感じの平屋建ての建物が
見えた(↑の写真)


そのなかの座敷には、はいれないけど、そこから眺める景色を
想像し、しばし深呼吸をしていた。瑞泉寺が花をめでて
その境内、寺自体、ずいぶん文学者が愛でていたようだが
おそらく海蔵寺の雰囲気もそれに劣らないなと感じていた


とてもくつろいだ、気持ちがひらいていく思いがする週末を
過ごせた