八重の桜

大河ドラマ、八重の桜は、フィクションでしょう
日本人にとって、明治維新、幕末がどういう位置づけなのか
ということは、現代史といっていい、なかまなしさを伴う


現代史ということでは、解釈がゆれて当然なのかも
しれない。司馬遼太郎の小説で幕末の雰囲気を感じた
自分としては、結構雰囲気がちがう


八重の桜は、会津藩からみた、幕末、維新ということに
なるのでしょう。ある意味偏っていて当たり前
会津藩は、幕府から京都守護職を命じられ
時の天皇にたよりにされて、血を流して、京都における
正義を守ろうとした。しかしながら新しい政府を作ろうという
薩摩、長州の矢面に立って、戦をしたことで
どんどん戦の中心にでていく


主人公の弟も昨日戦死した。肉親が死ぬということが
憎しみを生んで、戦争の負のスパイラルにおちいっていく
人がひとり死ぬということの大きさを、場面のひとこまに
変えてしまうのが、戦争だろう
やはり、幕末、維新も戦争の歴史だということに
なってしまう


司馬遼太郎が書いた世界は、坂本龍馬というまさに仙人の
ような英雄が、藩という概念を超えたところに、新しい
世の中を描いて見せて、そこに薩摩、長州が最初にのっかり
日本が、ある面植民地化するのをふせぎ、奇跡のように
世の中が、変わっていったという書き方をしてる
幕末、維新は戦争の歴史でなく、奇跡の転換だと
坂本が導き、西郷隆盛であり、勝海舟であり、「日本」を
思う人が、踊ってすすめていったというように、「読める」


幕末を、維新をどう読み解くのかということで
いわば、その人の人生の意味も変わると思う。
もちろん、八重の桜も、戦争という意味だけではもちろん
終わらないだろう


日本は奇跡をおこして、ここまですすんできたといっていい
それは、経済だけでなく、文化にしても、生き方にしても
そうだろう。文化というと、民藝運動の人の言葉にならえば
東北に、日本の文化の底流があるといっていいかも
しれない。生活をするということに、深い、力強さが
ある東北の良さをしりたい


さて、八重の桜。少し戦争の血なまぐさいところは
さけてとおれないのだろうが、戦国時代のようなごつごつさが
あって、ちょっとやりきれない。今後白虎隊のところまで
血をながして、いくのだとうと思うとちょっとやりきれない
そのあと、新しい希望へどうつながるのか、少し興味も
わくのだが・・・