三河屋

炉辺で、いい雰囲気で飲んだり食べたりしながら
語る。時間がゆるやかにながれ、笑顔があり、にこやかな
人からこぼれてくる、言葉に耳を傾け、自分の気持ちも
なごんでくる


言葉にすると、やや一定の硬さがでてしまうのだけど
おそらく、前に先代社長から聞いた、炉辺にあこがれるという
ことは、炉辺に人が集まって、できるコミュニティというか
ファミリィの空気であり、人の和ということに
あこがれると、自分は思う


1990年代の半ばくらいだろうか。元気だった先代社長は
炉辺がいいねということを、つぶやくようになった
新橋に、飛騨高山の料理をだす店があり、そこで
高山の近く、白川郷には、まだかやぶき屋根の民家が
残り、炉辺のあった家があると聞いて
夏にでかけた。
そこで、旅行者で来ていた、イザベラさんと知り合う。
イザベラさんと意気投合して、ホームパーティに招かれて
とても喜んだ先代は、自宅にイザベラさんを招いて
お茶会をひらき、夜遅くまで語った。


先週末は、先代社長ご夫妻が、自宅で開いていた塾の同窓会が
弘明寺三河屋で開かれた。先代の思い出話として上記の
エピソードを語ってみた。そして、炉辺という雰囲気
ということでは、つかわせてもらった、三河屋そのものが
炉辺こそないけど、地域にとけこみ、さりげなくあって
やさしい笑顔のおかみさんはじめ、働く人もやさしい。
すっかり、いい雰囲気のなか、先輩のあたたかいまなざしと
いま仕事や家族でこんなことという、くったくないおしゃべりで
楽しい時間を過ごしました


例えば、家族が病気になり、その心配で顔がくもってる
仲間がいました。でもきっとおしゃべりするなかで
その何十分の一かもしれないですが、心が軽くなるような
時間だったかなと、自画自賛します


またある仲間は、景気があまりまだよくない、そんななか
こうして、気の置けない仲間とあえるのは、はげみになると
正直な感想をいっていました


別のかたは、こつこつと、動植物の観察を続けて
子どもたちに、自然観察の楽しさを教えることを、しています
というまさに、学校の先生をやり、「教育」ということに
ひとつの軸をもって生きた、生き方そのものをみせて
いただくような、話しをなさったかたもいた


実際のところ、炉辺は三河屋にはないのだけど
先代の奥様を囲み、自分の思いをさらして
そして、そのやりとりのなかで、自分の生きてる姿を
確認して、また明日も元気に、またその日を大切に
生きようとその力をえて、みんな帰ったのではないかと
またまた、これも自画自賛してる


仲間と呼んでいい、塾のつながりの人は一年ぶりなのだが
なぜか、もっと頻繁にあったような気持ちがする
そんな、ほんわか感があったように思う
皆様、ご協力ありがとうございました