文脈理解力

人と人。仮に世代や環境が一般的には似てると
思う関係でも、しっかりあるコンセプトを、相手に
伝えるってとっても大変だ。


そんなことを、はじめて意識したのは、いつだろうか
中学生くらいだろうか。なぜ、こちらのニュアンスが
相手に伝わらないのかって、とてもくやしく、はがゆい思いを
した
もっとはっきり、そのことを思ったのは、高校の文化祭だろうか
学校における、行事について、いろいろやるのって
実は、やりたいと思ったことを、仲間といろいろ意見を
交わしながらやるという、アンサンブルの楽しさ
そして、難しさということにつきると思う


そんななか、とっても難しいなと思ったのは
エネルギーもある、理解力もあるはずのクラスの仲間と
やりたいことで、意見がわかれたとき。意見を
調整しようとするとき。こちらの思ってること
100%はなかなか、伝わらないのですよ


高校の文化祭はなかなか、盛り上がっていて、クラスでは
8ミリの映画を作っていて、所属していた軽音楽部では
コンサートをやった。もちろん時間は足らないし
どっちもいっしょになんてことは、なかなかできないのですよ
そこで、調整するということになるけど、やっぱりそれぞれ
リーダーをやっていたりすると、それぞれの立場でこうしたい
という主張がぶつかる。たして2で割るような調整を
することになる


大学にはいって、クラブでやっぱり、世話役などをやると
まさに、意見のぶつかりあいがいっぱいでてきていた
そうしたとき、高校時代の経験をふまえていろんな
「やりたい」があると、意見が食い違うのはあたりまえと
思っている、ある面客観的な自分がいた。


「文脈整理力」これは、大久保幸夫の「仕事のための
12の基礎力」という本にでてくる言い方
この育った環境や、所属する社会が全く違う人の意見を
聞き取って翻訳できる能力と位置付けています
さらに、この能力の底辺として、「自分の感情を抑制する能力」
「論理的思考力」「日本語力」とあげている
自分の感情をコントロール。ここがまずそこそこ、大きなカベがある
上に大学のときは、客観的になれたなんて書いたが、実は客観的に
なることが大事なことに、気づいたということのほうが
正しい。客観的になれたのは、いま思うとやっぱり
そんなに多くはないからだ


人間は感情があるから、面白いし、生きている力の源泉も
みつけられる、楽しめる。だけど、一定のところ
コントロールできないと、きわめてあぶない状態になる
思うに、人に接して、相手になにか影響を与えることが
できる、またはしなくてはならない立場なら、必ず必要になる
感情のコントロールができないのなら、やっぱり相手に接するような
ことは、いっとき控えたほうがいい


こうして、カベみたいなものを思うとき
どうして、乗り越えようかと頭をかかえるわけだが
少しもしかしたら、ヒントになるのかなということが
「夢を持つこと」という話を聞いた時のことだ


夢を持とうとその人がいった、その理由のなかに
例えば、自分の苦手な人ともつきあうようになる
という話があった。それをひもといていくと、苦手な人と
つきあう、感情を前面にだしていては、できない
やはり、感情のコントロールが大事になる
感情をコントロールすることが、やはり夢に近づく
近道となる


また、↑に書いたことの逆説もありだ。人と接するのが好きだし
いろんな人と意見をいいあい、切磋琢磨して、育っていきたい
「だったら!」である
感情をコントロールし、文脈整理力を磨いて、まさに切磋琢磨することが
上手にできる、前提を作ろうということにしようではないか


ついつい、安易ないいかたになってしまったかもしれない
でも、シンプルに物事を思うのが、やっぱりいいと思ってる
あなたは、文脈整理力をもてる、そういう器をもってると
信じてる。いっしょに、磨いていこう