はっとする

2020年5月28日、日経新聞第二部「人生100年羅針盤」に
権藤博さんの言葉がのっています
そして、彼は、アメリカ、マイナーリーグに指導の勉強に
行ったとき、教えたら、やめてくれといわれ、本人が気づくのを
待ってるんだからといわれ、はっとした、と書いています


こうしたこと、とても、自分は大事にしてる、つもりでもいます
でも、待ちきれずに言ってることも、多々あるのだとも思います


話し合いがうまくなろう
いい話し合いをして、気づけるようになろう
気づく、ということは大事なのだけど、気づきがあるというのは
言ってみれば、十分な訓練と陣地があって、いろんな意味で
栄養を吸わないと、気づけないということもありそうです


そうなのかもしれないですが、やっぱり気づくということを
大事にしたい。なにか言われて、そのとおりやるでは進歩がないし
だいたい、楽しくないとも思うのです


20代で勤めた銀行で、会議が嫌いでした
つまり、えらい人がいて、こうするんだ、こうやれと
言われるのがいや、なのですね
この話、実際のところ、経験少ない人に経験ある人が
こうしたらいいよと、教えてくれる、貴重な時間ということも
あるのですが、若い自分には、「押し付けられる時間」って
受け取っていたところがあります


いま、このように書いていて、思うのは、話し合いに
参加するそのメンバーの気持ちだったり、やる気の度合い
そして、やっぱり知識だったりノウハウといったこと
こういうことによって、どういうふうに導く、また
ときにはやりたいようにやってもらうということを、変える
ということが、いいのかもしれません


はっとすること。
とても、大事だと思います。そして大事するそのことを意識して
はっとすることがいいんだ、そういうタイミングを、持とう
という意識で生きる、と続きます


私自身、仕事の立場でいうと、教えてもらうということが
ほとんどありません。それはやっぱり、指導者として
うまくないのです。立場を変えて、教えてもらう
という時間が定期的にあるから、教える側のあれこれが
見えるということがあります


「立場を変えてみる」ってとても大事です
客観的な視点をもつことにも、つながります


意見が違うこと。このことも大事にしたほうがいいことです
違う意見を言う、その立脚した背景はこうなんだと、その意見を
受け止めます。


文脈理解力という言葉を、大久保幸夫氏は言います
言葉はそれぞれ、背景があるのだということ。
人の考える意見にも、背景があるといっていいことを
言いたいです


先日読んだ本に、日本人は論理でこうだから、こうしよう
ということ、そういう意思決定が実は苦手ではないかという
趣旨のことが書いてありました
このことに、全面的に賛成するというのは、ちょっと苦しいし
実際そうではないとも思うのですが、意思決定するときに
論理だけ、が優先される、そういう世界もまた苦しいのだ
そういうことを、再認識する、いいきっかけになりました


誇りのある、生き方をしたいと思っています
自分がしたいことを、する、そういうことを大事にするなら
自分がしてほしくないことを、立場が変わったから、自分がする
そういうことは、避けたい、それが少なくとも誇りをもつ
条件ではないか?って、感覚で思います


そういうふうに、思うとき、はっとすることは
結構日常ある、そうとも思えてくるのです