八重の桜、京都編

八重の桜は、会津戦争を戦った、八重が、おそらく
「教育者」としての人生を歩むのであろうという、京都で
どう目覚めて、どう人と協力して、生きていくのか
興味をもって、見守ってる


このまえの、日曜日は、新島襄がプロポーズして、それを
八重が受け入れるというストーリィだった


過去にしばられ、過去のしがらみからでられない、八重を
新島は、弟が死んだというその場所に誘い出し
死んだ、大切な人のことを思って、それと向き合ってくれという
前の結婚相手が忘れられなくてもいい、いいえ覚えておいてほしいという


人間は、大切な人が死ぬというような、大きな悲しみ、試練があると
それを乗り越えることができず、その悲しみのうずのなかで
生きてしまうという人が多いように思う
八重は、おそらくそうしたことを乗り越え、自分の生きる道を
さらにすすめていけた、おおいなる、人間力といっていいか
そんな力強さをもった女性だったのかもしれない


大切な弟の三郎、父親、前の夫をなくし、同郷の仲間があまた血を
流した戦争を乗り越える。生きのこったものが、はげましあい
新しい時代で、仕事をして、新しい世の中で、まさに人ができなかった
ことをやり、人をリードする役割をしていく


なんて素敵な人生だろうと思う。この世に生きてきたなら、できれば
人になにかしら、いい影響を与えるような役割をしたいと考える
テニスで、気づいたように、ものを教えてもらった先輩には恩は返せない
それなら、これから新しく覚えようという気持ちになった後輩に
教えることで恩を返すという話。これは人生がそうではないのか
若い人に、生きるってことはどんなことなのか、少なくとも
自分が感じれた、生きる術を、つたえていく。


このブログにも書いた。教えるということが、自分の仕事だと
思うのであれば、教えるための心はたいへん高いものが要求される
私心を捨て、常に向上し、常に学びあうという気持ちがないと
うまくいかない


学校の先生は、人生の先生であるべきだという議論がときどき聞かれる
それは、ある面正解でしょうが、現実的には、ほかの職業で人生を学んだ人が
教壇に立ち続けるというのも、あまり現実的ではないのでしょう
だから、先生は先生なのだけど、ほかの人の人生を客観的に見つめられて
それを、後輩たちにしっかり伝えられる、スピーチの名手、もしくは
俳優でしょうか、そうした要素も目指すべきなのかもしれません


八重は、生きることそのものが、きっと後輩たちに影響を
与える存在として、生きていくようです。兄の山本覚馬
新しい時代に必要なものを、先験的に京都で、実践するという
偉業をすすめるなか、家族で教育、同志社の創立にかかわっていく


これからも楽しみです