自分はどう生きるのか

自分はどう生きるのか
社会人として、どうあるべきか
このことを、ずっと思って生きてる


仕事をすればいいのではない
仕事をして、成果をだせるということを、しっかり心で
思って、そのとおりなるように努力するということが
あると思う


つまり、自分は、こう生きるぞ、こんなふうに成果をだすぞ
という思い入れと、仕事することがセットなんだと
思う。なにも考えずに仕事していくというのも
いっときは、必要かもしれないけど、心はずっとはそれを許さない
のではないか


楽器を演奏するという、一点についても、もちろん
絵を描くだとか、スポーツでストイックに記録を伸ばすだとか
「無心に」できれば、ある意味いいと思う
ところが、何年も、ときにはその半生をかけて、やっていくと
なったときに、無心にできるだろうか


続けていくということは、心が納得しないとできないと
感じることがある。またひとりっきりでは
なかなかできない。いろんな人と接して、教えられ、教えるという
行為がくっついてくるように思う
「教える」ということを、おおまじめに、また、まわりの人も
納得して、やっていくということは、かなり「高い心」が必要
ということもある


こうして、思うと、ひとつのことを、ずっと続けていくという
ことは、なんて、高い心を伴った、行為かと感じる
10代であり、20代は周りの人がその、可能性という意味で
やさしく、期待をかけて接してくれる。30代は微妙
40代ともなれば、プロとして扱うということが
世の中の常だろう
20代のころ、これでうまくいっていたのに、30代になって
同じようにやろうとして、あれれ、うまくいかないと感じる
それは、一面とても普通に起こることなんだと、思ったほうがいいのです


生きていれば、予想しなかったことには、出会うことです
なにげない、毎日起こるようなことのように感じていても
実際は、相手がいるのなら、その相手の考えてること
その状態、もちろん自分の状態、これからやるべきこと
そして、まわりからの期待。もっと単純にいえば
季節も加味したら、同じときなんて、ない。


その予想しなかった、いろんな示唆にとんだ事柄を
あ、また変わらず、平凡なことだと、見過ごしてしまうのか
そのとき、だから、感じる、感じることができる、いくつかのことに
気付いて、それを生きることに、生かせるのか
それが、人生をどれだけ楽しめるのかということに、つながっていく


どう生きるか
いま、起こってることを、どれだけ、立体的に、建設的に
とらえて、いまを生きることができるか
その一点をまず、思いたい
いっそくとびに、成果はでないものです
毎日の積み重ね、毎日仲間と絆を深めることに、まずは気持ちを
集中してみよう