リーダとして

ひとりの人を、やる気をだして、イキイキと働いてもらうということ
このことは、仕事をしていて、会社という組織を運営していて
原点といっていい、はずしたくない、視点だろうと思う
やる気をだして、いきいきとしてもらう
それには、明確な役割をもってもらうことが浮かぶ


担当者として、プログラムを書き、テストをするということが
できること。こうしたふるまいについて、よくやるということについて
かなり、自分自身を高めるということが必要となる
「よくやる」と一言で書いたが、ここを拡大解釈していくと
どうしたら、言語の特性を生かしてできるのかという視点、また
そのシステム全体としての目的をしっかりとらえてという視点
はたまた、品質を高いところにもっていくにはという視点
これらを、十分にもって、担当者として動くということは
とっても、なかなか大きいことだといえる


さて、いったん「担当者」としてのふるまいは、できてる人にたいして
さらに、やる気をだして、いきいきとやってもらうというときに
人をリードする立場ということが、ひとつの役割として浮かぶ
リーダーとして、ふるまうには、なにが重要なのか


理想を言う。その人といると、仕事をすすめたくなるという雰囲気を
出す人がリーダだろうと思う。これは実は相当ハードルは
高く見える。しかしながら、見ようによってはこれは多様な要素があり
できる部分もあるといっていいかもしれない


一方のいいかたで、「カリスマ」というような表現で、すごいやつの
イメージを、リーダとしてもつべきと考える人がいる
実際のところ、カリスマになれれば、本当にすごいかもしれないけど
私の思いは、この考えに否定的だ。それは、カリスマがリーダとなるべきという
考えのなかには、自分はすごくないから、リーダになれない
言い方をかえると、リーダをやらなくてもいいという、「逃げ」の
姿勢が含まれるように思うからだ


その人といると、仕事をすすめたくなる。この一点を思うとき
なにも、すごいやつであるということ以外にも見えてくる、イメージって
あると思う
その点で言うと、ずっと繰り返し、社内でもいうし、このブログにも書いているけど
相手の話を一心に聞ける。傾聴できるということがうかぶ
人はほんとうに、自分の思いを語りたいと思っていて
それを受け入れられたということは、とっても大事な一瞬になると
思う


このこと、傾聴するということは、ずっと私はこだわってる一点だ
傾聴できる人しか信頼したくないといっても、いいかもしれない
傾聴できる、いいかえると、しっかり相手の言葉を咀嚼しながら
聴けるということがあって、会話にいいリズムがある
会話にいいリズムがないということは、すすめていて
ほんとうに、気分が悪い


今日かいていて、なかなかまとまらないけれど
おそらく、仕事をしたくなるということは、やっぱりひとりひとり
人間はパーソナリティがちがうのだから、普遍的に言葉で
こうだとは、なかなか言い難いのかもしれない