先輩

学生のころから、今日まで「先輩」という存在を
いろいろ、利用もさせていただき、慕うなかで
心の栄養、知識として知る、指針をずいぶんいただいた
と思っています


ただ、自分もいま50代後半にはいり、現役でいろいろやる
先輩が減ったことを感じます。そういうなか
いまの世の中ですから、オンラインでのことですが
先輩と飲み会をいたしました


人と人が、特にお酒も飲んで話そうというときに
自分を飾らずに、だせるということが、とても貴重だと
思いますし、そういう相対の席を持てるということが
大事、実際、人と会うなら、理想の姿のひとつと
いまでも思っています


先日お酒を(オンラインですよくどいけど)いっしょに
飲んだ先輩は、実は相当アルコールには弱い人です
それでも、お互い気を許して、アルコールもありという
席で、なかなか、しらふで会うというときには
でない、話もしたのです


先輩には甘えていい、というのは、10代とか20代での
話、で、というのが一般的かもしれないですが
ときには、相手が先輩であれば、教えてもらう
またこちらが自分をさらけだせるなら、思い切って
批評してもらう、そういう席があっていいと思うときが
あります


この辺からは、自分のそのレベルというのを、わきまえて
やってるつもりですが、ときに先輩には、自分の
やってることを、どう思うか聞き、そうした意見から
自分のふるまいをある程度客観的にみるということが
貴重な時間にも、思えるのです


私は、経営ということでいえば、人づくりこそ
経営の大きな柱ということで、時間、であり、自分の
いろんなエネルギーを使ってきてると思っています
そういうとき、自分が尊敬する先輩はそのことを
どう受け取るか。話してみて、はっとすることがあります


人間、なかなか、立場を変えて考えるってことが
そんなにうまくできるものでない。と、思うことが
よくあります
言い換えれば、立場、から出発して、ある事象をとらえてる
その出発点の立場を変えてみるって、特に、きめ細かくと
なると、なかなか難しいのですよね


新入社員の人に、私が声かけるとき、やっぱりギャップが
大きいことを、感じます。こうしたギャップがある人と
なにか話をする、なにかひとつ、文章でもいい、説明のための
資料といったことを作るとなると、ギャップのなかでの
共通点だとか、なにかしら、同じ視点で話せることを
さがすことになります


こうしたやりとりをするとき、まずは、やりとりそのものを
ふやして、こちらの言ってることが伝わり、相手が
いまどう考え、なにを感じたか、こちらもキャッチできる
まずはそのことに、意識をあわせることだと、気づきます


そんなふうに思いながら、自分は、教育者という意味では
意味あることをしてるのは、自覚しますが、はたして
企業を経営し、またその立場で、社員をリードする立場として
十分な、なにかができてるのか?となると、だんだん自信が
なくなっていく・・・なんてことも、しばしばです


はっとする。自分を客観視する
こうした、必ずほしい、なにかのマイルストーンでの自分への
気づき。先輩といる時間って、そうするための栄養をもらえる
なんて、ずっと思っているのは、やっぱり甘えてる証拠でしょうかね