テレワークあれこれ


相手の気持ちを想像できる、そういうことが
とても、重要だと思うようになりました


ただ、簡単ではないですよね
特に、いまの日本人は、コミュニケーションということに
戸惑ってるとも、見えますから、危うい、な、と思うこと
しきりにあります


どうも、欧米の皆さん(とくくってしまうのも、乱暴ですが
いったん、は)、もともと多民族、違う言葉をしゃべる人が
隣人ということに、慣れておられるので、相手となかなか
通じ合えないということが、前提ということで
いろんな工夫を重ねてるということが、感じられます


ところが、長く単一民族、であり、同じ言葉をしゃべる
ということで、きた日本人、基本的に同じ日本人なら伝わる
というのが前提でいろんなことを進めてきたということが
あるのでしょう


さて、いまテレワークをしなくてはならない、新しい
ソフトウェアをはじめ、自分たちの持ってる文化が
そのまま通じない土俵で、仕事を進めなければならない
こうしたときに、相手の行動を読み取って、相手がこうして
ほしいということを、感じながら仕事するって、実際大変
じゃないでしょうかね?


仕事するって、とき、とてもよく思うのは
同じベクトルをもった人と、進める仕事はとてもうまくいく
そのベクトルをあわせるというところが、実はうまくいかないことが
多いのだと、感じるのです


だから、顔をあわせて、何度も話して、そのあたりを
軌道修正、合わせこむということを、くりかえしする必要があるのでは
ないでしょうか?


「会う」ということに、勝る、コミュニケーションの手段って
ない、でしょう。だから会うということに、準じてなにかを
使うということですよね
オンライン会議は、表情を伝えることがちょっとはできる
だけど、「会う」ということとは、違うという認識を
持たないと、前に進みません


オンライン会議を有効にするために、事前にこういう主張がある
事前に準備して、こうした前提があるのでは?と、その会議に
おける方向なりを、だしておくということが、あります
ただ、そのやりかたは、割合として一定のもの、有効であるとも
言えますが、フラットにやりとりすることから、見えてくるものを
しっかり大切にするっていう、そういうところから、真逆のところに
向かうということも、知っておくって大事じゃないでしょうか?


さらには、なんらか比較対象があって、その比較対象のものが
お互いよくわかっていて、相対的な評価、話していての
インパクトが共有できれば、そこそこ、お互いの主張が見える化
しやすい。だけど、比較対象がわからない、話になると
とたんに、お互い話してることが、見えずらいとならないでしょうか?


まだまだ、「働き方を変える」ということは
ハードルがあると、思っているこの頃です