新緑と雨

今日は朝から雨で、雨のなかをウォーキングにでる
雨の日に、新緑のなかを歩くというのはいい
今日は、総持寺の木々のなかを歩く


独特のにおいがすると感じる
雨の日は、草木が喜ぶんだという話を聞いたことが
あるけれど、冬のあいだ、じっと耐えていた木たちが
ここへきて、一斉に芽吹き、葉っぱをいっぱいのばして
生きようとしてる。そんなときに降る雨はほかの時期と
またちがって、木々にとって、すごくうれしい、ボーナスなのかも
しれない


雨模様の朝に、ときどき思い出すことがある
朝、気持ちよく起きて、ウォーキングなどすると
とても、気持ちが前向きになっていいのだけど
そんななかで、やはりお寺の境内だった、ふと気づいたことが
あった。
仕事でなかなか、思うように進まないな、と思うこと
これは、いわば、「牛にひかれて善光寺参り」というような
ユーミンの歌詞をぱくるとすれば「神様が与えてくれた、人生のレッスン」
といっていいか、そういうことなんだろうと、思うことができた


そのころ、社内で管理職という立場で、人を育てること
客から信用をもらうこと、社内にいいしくみを作ってくこと
そうしたことの、中心人物として、やってもらおうとしていた
人がいて、どうも、自分の考えとずれる。いいえ
人間だから、ずれるのもあたりまえなのだけど、そのとき
やっていて、感じたのは、おおもとの原点がずれるのだ
これは、いくらやっても、自分のやってることと、不協和音しか
生み出さない


このおおもとの原点がずれてるな、と認識するのに、大きな代償というか
時間とてまひまがかかった。
うーん、なんだろうと思ったけど、それは、牛にひかれて善光寺参りの
牛にであったのだと、やっと気づけたころ、思うことにした


海援隊の歌詞によれば、「人は悲しみが多いほど、人にはやさしくできる」
なんていうのもある。そういうことを思うとき
自分が、人をリードする立場にたつというとき、自分はどんな経験
思いをもって、その立場にいることがいいのか?ということを
とてもよく考える
人を育てようというのなら、それこそ、高い心が必要なんだって
いまは、ずっと強く思っているが、そのことを、確信として
思ったのは、実はごく最近のようにも思う


新緑の緑が、教えてくれる
生きるということに、懸命なことはいいことだ、必要なことだと
フィトンチッドという。おそらく、雨の新緑の日には
たくさんでてる、植物からの、生きようという発信といっていい
と思う。そういうものは、やはり、今日であり、明日であり
一日一日を大事にすることから、はじめようと言ってるように
思える

さて、いい季節です。前向きに、どんどん、生きる力をつけたい