知り合いが横浜が好きだと書いた

信州ですっかり、気に入ってるお店をやってる女性が
横浜にきて、馬車道だとか、中華街だとか
横浜らしいところを、めぐって、横浜が好きになった
という記述をブログでしています


http://kimaguremiyuki.no-blog.jp/


この十色屋さんは、おそらく10年くらいになる
おつきあいにて、信州の安曇野に行けば、寄って
おしゃべりをしたりしたのです
ここのところ、3年くらい、横浜の上大岡に出店を
やります
そんなときもちょっと、お邪魔したりします


馬車道だとか、中華街。山下公園
山手あたりというのが、やっぱり横浜らしいと
いえるかもしれないですね。
港の雰囲気は、ちょっとなにかしら、おしゃれな感じに
つながるようです


このところ、車でとおって、いいなと思うのが
みなとみらいの通りで、左手にランドマークタワー
みながら、走る道です。右奥に観覧車があり、はしっていくと
大きなギターのオブジェクトや、メリーゴーランドなどが
あらわれて、とてもきれいだし、たのしいです
みなとみらいだから、実際、こんな場所は自分が子供の
ころは存在しなかった。いわば新しく作られたところです


そういうふうに思うと、山下公園でも山手でも、中華街でも
少なくとも明治の時代からあるのに、みなとみらいは平成だなと
なって、そのギャップは面白いですね


横浜は、ほんとうにいろんなところから、人が集まってできた街ですね
だから、何代もつづいてる、横浜の人なんて、すごーく少ないのです
子供のころを思い出すと、ほとんど、友達が、おじいちゃん、おばあちゃんに
結構遠くに会いに行くという話をしていたのを
思い出します。うちはというと、そういう遠くの親せきに
行くということがなかったので、ずいぶんうらやましくも
ありました
そういう記憶をたどってみて、思うに、ぼくらの親の世代になって
横浜にでてきて、住みついたという人がとっても多いということです


生まれ育った、上大岡あたりは、ちょうど、横浜で戦後に発展が
はじまった、というか住宅街が、ひろがるのが、戦後増えたところと
それより前からあったところの境目といっていいところだと
思っています
いつも、新しい家だとかマンションだとかが、少年期にできていて
まあ、活気があったといっていいかもしれないです
どんどん、人口が増えてる時期、それが自分の子供の時代ですね


横浜の上大岡で育って、自転車がすきだった自分は
ときどき、坂をのぼっておりて、ちょっとだけでも
海が見える場所をみつけて、その海が見えたことが
うれしくて、ほわんとして、見ていたことがあります
いま、山下公園とか臨海公園は別ですが、水辺そのものは
あまり近くまで行けなかったということがあったから


横浜で楽しい時間を過ごしましたよと聞くと
横浜に住んでる自分としては、うれしくもあり
でも、やっぱり横浜も観光地、外から来た人が
楽しむ町なのかなと思ったりします