生きる力

ときどき、生きる力を強くしていくことっていうことが
なんて大事なんだ、そのことを、全社員にうまく伝えたいと
何度も思います


力強く、自分で自分を高めていくこと
そのヒントを先週のTJKのセミナーで聞きました
前頭葉を鍛えることです。それは、書道であるとか絵であるとか
文化に親しむことで、発達しますという
前頭葉こそが、人間の人間たらしめるところを、つかさどってるという
古い脳、動物の脳は、いわゆる欲望の脳であり、ここを制御して
高い精神性を保ってるのは、前頭葉だという説明だった


思えば、文化にふれるということは、まさに、感情をより洗練した
ものへ昇華した、表現を楽しむということで
それは、人間がずっと追いかけるべき、精神を鍛え続けた美しさ
素晴らしさにふれるということになるのだから
もう、絶対そうなんでしょう


人間は、生きようという気力を、養っていかなければならないと
おもう。少なくとも、人といい時間を過ごそうとか
チームでなにか、いい結果を残そうとしたとき
人とふれるとき、そうしたことが、バランスよくでてきて
お互いに、楽しめること、このことが、必要条件といっていいことに
なってくるのではないかと思う


このブログにも、何度も書いてること。人になにかを教える
という行為は、とても高い精神性がともなってこそ、いい感じで
できることで、そういうことを、思うとき、自分の心を鍛えていくという
ことを、真正面にとらえないと、いけないのではないか?と感じる


いいえ、こんなことを、書いていても、日々どんどん、迷うし
人と相対していて、きっとこの人は、自分の弱い部分だったり
ぐずぐずしたところ、または、はきちがえで、ささくれ立った心を
見逃さず、見られていて、こちらからなにかを伝えるということが
とても、うまくいかないなと、あーあと、恥じていることは
とっても多いのです


でもね、だからといって、そうしただめだめな状態になってる自分を
そのままには、しない、という気持ち、覚悟はもってるつもり


うえに書いたときとは、別に、自分がいい感じで、努力して考え続けた
なにかが、相手に本当にいい感じで伝わって、まさに
相手がほしかった、水、土、太陽のうちの、いま水になれたかな
なんて、うれしく、自分のなかのなにかが輝くのを感じながら
行動できてるときもあるのです


人はいろんな人がいて、生きるその舞台もほんとうにそれぞれで
どんな場面、どんな人にも、いい感じでできたら、すごいのだけど
そうもなかなかいかない


けれど、日々、失敗してしまうことがあっても、めげてしまうということ
さけたい。このことも、生きる力につながるのだと思ってるけど
なんとしても、めげない、いつも元気を回復できるそんなふうな
生き方をしたい
人間は失敗もする。それはやっぱり似た失敗は繰り返さないように
したほうがいいけれど、そうはいっても失敗はする
そうしたとき、うまくリカバリーできる自分でありたいではないか


文化にふれること。作家の人間性にひかれて、思いをめぐらせる
そうしたことは、やっぱりその人の生きる力にふれたいという
気持ちがあるからだと気が付いた


生きる力を、たくわえ、磨き、いい人生、いい一日、いいひとときを
過ごせる、そんなことをめざしたい