佐藤忠良が好き

私の住んでる部屋から、最寄の駅に行くまでの途中に
中村節子という方が、作った彫刻がある。「ファミリー」という
題にて、お父さん、お母さん、男の子、女の子


この彫刻を見たとき、あれ、佐藤忠良さんのかなと一瞬思ったのです
同じようなことが、愛弟子の笹戸千津子さんの作品を、有楽町だったと
思う、見たときも、思いました


思い出すと、川村美術館で、佐藤忠良の回顧展が開かれたときが
あって、特にそのスケッチをみながら、佐藤忠良の作品、線が
自分の気持ちに、くっついてきたというか、早くいうと
好きになったという感じがします
そうして、佐藤忠良の作品がいいなと思えたら
その前にもみていた、荻原碌山であり、高田博厚の作品が
前にみたものとは、全然ちがって、目の中にはいったというか
その良さが、感じれるようになった気がしたのです


高田博厚は、作品よりその文章で、存在を知りました
中原中也であり、ロマンロラン、ガンジーの像を作ってるのを
知っていて、後で作品にふれたのです
それぞれ、高名な人の作品は、それはそれですごいのでしょうが
やっぱり、高田の作品で、ぐぐっとせまってくるのは
トルソーだと思います
あるときから、女性の美しさを、ぎゅっと感じるものと、思って
いいなと思いました
高田博厚の作品は、安曇野の豊科近代技術館で、常設展示されてるのですが
その近く、安曇野のシンボルといっていい、美術館が
碌山技術館です


さきほども、ふれたのですが、最初、碌山美術館にいったときは
さほど、その作品に心が動かなかったのです
けれど、佐藤忠良の作品に目をひらかれ、それから見に行った
荻原碌山は、心をゆさぶりました
女性を愛した、その集中した気持ち、エネルギーといっていいものが
作品に注がれてる、そんな感じのする「女」
みていると、せつなくなるくらい、その思いが感じられる気がする
モデルという、相馬黒光の娘が、作品をみたとたん、お母さんだと
いったという、リアルさ


佐藤忠良に、導かれ、高田博厚荻原碌山と、いわば恋をするように
彫刻に見せられた、自分ですが、いまは彫刻をみれば、とても
興味がわきます
谷中の朝倉彫塑館にいったときも、その作品にとても、気持ちが
動きました。八ヶ岳美術館にいって、清水 多嘉示の作品を
見たときも、とてもいいなと思いました


昨年、かみさんといっしょに清水 多嘉示をみたとき
その作品をみて、こちらがおだやかな、気持ちになるのは
すごいという感想をふたりで言いました
佐藤忠良もそうした要素を持ってると思いますが
ここに書いた、荻原碌山高田博厚は、きっとちがいます
その情熱といったところは、別の魅力なのですが、おだやかさ
見てるひとを、くつろがせるような、世界に、またあこがれたのです


高田博厚も、マイヨールを賞して、その存在があること自体で
おだやかさを感じさせるという文章を残しています
彫刻をみて、そうした世界がみえるというのも、すごい
いい感じです


アーティストの作品をみて、その作品自体のよさということは
あるにはあるのですが、アーティストの生き方といったことが
それに重なり、気持ちが盛り上がるということが好きです
アーティストの存在が、そうしたことを思わせるなにかを
含んでると感じます
そうであるなら、見てるこちらを、おだやかにしてくれる
きっとそれも、アーテイストの生き方が、あるからなのだと
思います