佐藤忠良

私にギャラリーせいほうを教えてくれた友人と
会う機会がありました


東京造形大学で、佐藤忠良先生に直接指導も
うけたという彼は、せいほうで見た、船越保武の名前を
いうと、佐藤忠良と船越保武はセットで
語るべき人ですという


10年ほど、前になるでしょうか、川村美術館において
佐藤忠良の、展覧会があって、その特にスケッチにひかれた
のを、思い出します。それから、佐藤忠良
作品がよくて、横浜でいえば、伊勢佐木町横浜市立中央図書館に
その作品はみることができるのですが、とても、佐藤忠良さんの
作品がよくなっていったのです


そんなふうにしてるうちに、お気に入りの安曇野において
碌山美術館荻原碌山の「女」、豊科近代美術館にある
高田博厚の、トルソーに、自分の見る世界がひろがっていく
ように、気持ちが傾きました
実際のところ、碌山美術館にしても、豊科近代美術館にしても
はじめて、おとづれたときは、その作品について、そんなに
心が動かなかったのです


それは不思議なことで、佐藤忠良の作品に、いいなと思った私の心は
いままで、見えなかったものが見えるように、荻原碌山の作品
そして、高田博厚の作品に、反応するようになりました


冒頭に書いてくれた友人、Tさんとしておきます
Tさんは、中学時代に、王貞治がホームランの記録を作った
ときの、「記録を作った男」という佐藤忠良の作品に
ふれて、あこがれた、と語ります


3年ほど前、世田谷美術館で、大規模な佐藤忠良の回顧展を
やったのですが、そのとき、印象に残ったのが、記録を作った男であり
群馬の人でした


佐藤忠良の作品が心をうつということは、どうも、実際私が
佐藤忠良の生き方に、心ひかれたということと、同時に
起こることのようです


似てることでしょうが、荻原碌山の「女」がやっぱり心を
うつのも、荻原が、その生きた証のように、相馬黒光を愛し
その恋愛を、アートに昇華させた、その軌跡が、美しくみえて
心をうごかすのだと思います


アートは、人が作るものだから、そしてアーティストの
心はピュアで、強いから、その生き方にひかれるということは
あっていいというか、当然なのかもしれないけど
どうも、いつも思うに、そのアーティストの生き方が
実際、どうであろうと、作品は作品として、輝いていて
いいわけで・・・とも思う気持ちもあるが
どうも、アーティストの生きた、道筋と、
その作品の良さは、私のなかでは、くっついていく


作品にあこがれ、アーティストにあこがれていく
その気持ちは、友人のTさんを、私の気持ちのなかで
近づけていく
佐藤忠良が好きな、人なら、きっと私と近いものがあると
勝手に(これまた、勝手な話だ)思い込む


人と人が仲良くなる方法はたくさんあって、全然いいと思うけど
佐藤忠良のように、アーティストつながりで
いいなとなるのって、とてもいいように思う
そういう意味では、そういうつながりで、楽しむ人たちが
多いのって、やっぱり、なるほどと思う
できれば、やっぱり佐藤忠良のように、真剣に好きになれる
ような対象で、つながりたい