彫刻

銀座に、彫刻専門のギャラリーがあるよと
知り合いから教えてもらい、週末に行ってみる


http://gallery-seiho.com/


ギャラリーせいほう
この日は、綿引道郎という、鍛金、木彫り、そして鉄の作家
はじめてみた。その作家ご本人にも会えた
ぶしつけだけど、なぜ塑像をやらないで、鍛金なのかと
聞いてみた


薄い、空間のある表現は塑像ではできないのですよ
と、あたりまえのようだけど、ぼくらは言われて出ないと
気付かないことを、言っていた
確かに、親子の像の洋服のえりなど、すきまをつくってあるのだけど
思い出すかぎり、塑像では、そんなふうにはならない


見慣れてるかどうか、なのだろうと思うが、塑像のほうが
なぜか、立派?というか、迫力があるようにおもえてします
でも、「自由の女神」も鍛金と聞くと、そんなことは
ないのかもしれないと思ったりもする


彫刻で、誰が好きかといえば、佐藤忠良であり、荻原碌山であり高田博厚
答えるだろう。その3人とも、塑像である
綿引氏は、塑像の作家を、碌山とあげていたので、やっぱり碌山は
大きい存在なんだなと思うひとときがありました


こうして、知り合いから、ギャラリーを教えてもらい
たまたま、展覧会をしていた、作家から、また名前を聞いたりして
碌山の世界にひたりたくなる
こういうつながりはいい。この綿引氏、主に木彫りでなのか
人物を作っていて、鈴木大拙という仏教や哲学の大家の胸像があった


実際、鈴木大拙の本も読んでいないし、紹介できないのだけど
鎌倉の円覚寺であり、東慶寺に縁のある人だと聞くと
それだけで、なにかつながってる感じがする


荻原碌山の、信州、安曇野であり、いくつも好きな寺のある、鎌倉であり
私がとっても好きな場所だ。何度もいって、元気をもらいたいところ
といっていい。そういうことで、彫刻がみちびいてくれる、楽しみと
いっていいかもしれない。そういえば、朝倉彫塑館も、復活したと
このまえ、話に聞いた


先週は、信州に桜をみにでかけていて、そのときは信州の美術館はどこも
寄らなかったのだけど、今年も一度は、信州の美術館をめぐって、作品にふれて
アートをみた、目で信州の山をみつめてみたい
それをくりかえしたら、なにか、心の中の空気が澄んでくるような
気持ちがする。おそらく高く、なにかあこがれる気持ちをまた
もてるように思う


アートを見る楽しみは、いろいろあっていい
たとえば、気持ちの澄んだ人にあって、元気がもらえるような
アートをみて、元気になれるようなそんな、気持ちはとてもいい
まして、やっぱり自然といっしょに、感じられれば、すごくいいと
感じる