美しいものを見るとき

あるとき、絵をみるより
彫刻のほうが、見やすいというか
自分には、目に入ってくると、感じることが
ありました


アーティストについて、その作品より、その人柄に
ひかれてしまうという傾向はずっと自分の中に
あるのですが、彫刻もそういうところがあります


佐藤忠良、一番多くみたのは、川村記念美術館だったと
思います
そして、佐川美術館に行き、著作を読んだりして
ある意味、佐藤忠良が、自分が見る彫刻のスタンダードといっていいか
基準になるような、気がしています


安曇野にある、豊科近代美術館に、高田博厚が、常設展で
見られます
トルソーです。数多くの女性がいます
高田博厚は、女性を愛して、生きたアーティストだなと
思います
それは、幸せといっていいかなとも思います


八ヶ岳美術館には、清水多嘉治という彫刻家の作品があり
高田とは、ある面、対照的だと思うのですね
それは、女性の愛し方のちがいといっていいかもしれません


どちらが、美しいか
そういう問題でも、ありません
やはり、どちらが好きかということかなと
思います


私として、コメントすれば、高田の動、清水の静、というのでしょうか
清水の愛し方にも、あこがれるのです


詩人、やなせたかしが、自分は画家になりたいと
思った、手記に近い詩において
紫の川という、詩があります
その詩を書いた、やなせの心情、思うに
高田は、そのときが、清水はそのときがあって
それが、とても、ちがうのだと、感じるのですね


先週、親しい人と話していて、高田博厚が、ロマン・ロラン
指で思索する人と、讃えられたという話をしていました
そのことから、高田博厚のことを、思い出し
ぐぐってみると、ちょうど、東松山市で、高田博厚の没後
30年記念の展示があるというので、行ってみたくなっています


アーティストの生き方にあこがれるのは
自然なことかも、しれません
美の世界に、身をささげた、生き方は
なにか、生きてる意味を、みいだしたい、と思うなら
あこがれてしまうのでしょうかね