退化してる

昨年、やきものの街、瀬戸を訪れて、その作り手がつぶやいたことが
とても、印象に残っています。「退化してる」ということです


ぎくりとなりました。人間が退化してるということ。えっ?そんなこと
ありえないのでは?と思う人多いと思う・・・?ちょっと待って。
あれれ、もしかしたら、実感として、多くの人が退化してると言われたら
うん、そうなのかもしれない、と答えるのかも、とまた、ここでもぎくりと
する。うーん、これ、いま書いていて気が付いたことなのだけど
どの多さ、というのは、またどこかで、考えてみたい


上に書いた、作家は言います。手は縄文時代より確実に退化したのですよと。
縄文の土器を手の感覚で作った人間はすごいと言い切る。この作家さん
実際のところ、相当な評価もされてる、何代も続いてるおうちの、いわば
やきものの世界では、大きな存在感がある人だったりするので、その人が
言い切ると、迫力がありました。だいたい、言葉が嘆きもはいって、鋭いです


さて、退化してるという一言、心に響きました
私が、すぐ、思い浮かべたのは、いわば、対人対応力というところでしょうか
考えてみれば、ほんの数十年前までは、日本だけでなく、生活自体とっても
大変だったはずです。電気、ガス、水道なんてライフラインが整ってない
ことを、思い浮かべれば、わかります。だから、人は協力しあわなければ
実際に生きていけなかったです。そのころを生きた人にしたら
まさに、人と協力してなにかするということについて、退化した、
というのは、あると思います


もっと具体的に言ってみましょう
見て、聞いて、話すということについて、ほんとに、悲しいかな、退化した
ということがいえると思える場面にでくわします


まず、見ること。Face to Faceで相手と会うこと。このことが苦手な人
ずいぶん、いるのではないでしょうか。相手を見る、相手の心を見る
相手の思いを見る。
そして聞く。心をひらいて、聞く。相手の言ってることを咀嚼する
そして、素のまま話す


そういうことが、大切と思って積み重ねていれば、こんな変なことは
ならないぞ、と思うことがたくさんあります


そういうなかで、仕事をしていたりすると、仕事をしてもらうのに
上に書いたような、人間力とも言っていい、対人対応力をどうやって
つけていってもらおうかと、ほんとに頭を抱えることがあります


生きていくことの、おおもとは、生きようという力をつけることです
その生きようという力は、最初は親御さんからもらうものだと思います
でも、一定の年齢を経ていったら、自分で自分の生きようという力を
養っていかなければいけないと思います


生きよう、よりよく生きよう。そうならば、自分がよりいい状態に
なるには、どうしたらいいか、考えてほしい。そのとき
人と、どう向き合うということが必要なのか、考えてほしい
特に若いときは、自然とその人本人の可能性に、みんなが期待して
みんな、いいえある割合の人は、寛容に接してくれると思います
そういううちに、自分はどう生きていくか真剣に考えて、ひとつでも
ちょっとでも、自分がどう生きたら、少しずつでも、相手に恩返しが
できるのか、心をくだいてほしいのです


対人対応力がおちて、退化してしまったら、やっぱり必要なところは
鍛えなおして、自分を向上させていくということしか
ないと思います


嘆いてる時間は、いらない。前を向いていきましょう