人間の成長

思い出してみると、学生のころから、どうしたら
成長できるのか、自分もそして仲間も、ということに
ずっと、心をおいてきたように思います


舞台を作るなんていうことを、とおして、仲間になった人が
大学という狭い世界かもしれない、たった1年とかいう短い時間かも
しれないけど、成長していくのをみて、うれしく思ったことを
思い出します


こうして、いま思い出しても、仲間といえる、いいたくなる
人がいて、そういう人と時間を共有できたというのは
うれしいことです。おせっかいなのでしょうけど
そうした、仲間と呼べる、感覚が生まれていく、そういう
時間を共有したい、知ってほしいと思っています


社員のひとりひとり、ぜひ、なんらか「ああ、そうだ」とか
「へぇー、自分もやってみたい」「あれれ、これ、すごいぞ」
とか「感じて」自分で自分を鼓舞して、挑戦する
ということを、やってほしいと思います


自分を変えるということ、それは、大変ですね
言葉で書くことは、できてもなかなか、自己変革なんてことは
やさしくない。そこで、ちょっとずつです
いっぺんに、すごい変化を自分でやろうというのも、ひとつの
作戦なのですが(そうして、魔法にかかったように、変わる人も
いるらしいですが)現実的には、例えば、毎日30分ずつやる
だとか、そうした、ちょっとずつの変化を
積み重ねるということが、あるのではないでしょうか?


成長というのは、なにで測るのか、これまた
結構難しいことではあるのですが、やっぱり、感覚的でも
私としては、「生きようという力」がいかに強くなったか
その一点になると思っています


生きていくからには、なんらか、自分で自分のことを
納得するというか、いいなと思える、瞬間を作ってく
そういうことでは、ないでしょうか?
自分で自分のことを、いいな、つまり自画自賛なのですが
そうすることって、自分がいきいき生きる第一歩だと
思っています


例えば、10代とかは、わかりやすい。なんらか、経験を
すること、恋にしても、スポーツや、文化をとおして
人と絆を感じることだとか、わからないと思っていた、なにかが
わかる!という瞬間があるとか、そうした、まさに、成長してる
というときがあるでしょう。1年前の自分を思い出して
ああ、なんだ、あんな小さなつまづきで、ぐずぐずしていたのか
なんて、思い出せるときがある。


さて、もちろん、社会人になってそれなりに、時間が
たったりすると、自分の成長というのが、見えにくくなりますね
それでも、ちょっとずつの成長というのを、したいものです
これは、きっと根源的にそうなのです
ただ、よく自分をみつめていないと、そうしたことは
感じにくくなります。そうして、「もういいや」と
乱暴な生き方をする人も、多いのも、事実ですね


いいえ、と踏みとどまって、自分の成長を、自分で作ってく
人と本当に絆を感じながら、自分の生きる意味というのを
さがしていく、そうした、人生をぜひ送ってほしいと思います


人は生きていて、その生きる意味を感じて生きる
ということが、必ず必要なんです
いいえ、ちがうという人は、ごまかしてると、あえて
言い切りましょう
まだまだ、可能性を秘めている、そう信じてる