自分と向き合う

あるとき、自分のなかに、もうひとりの自分ができて
そのもうひとりの自分と、話すようになる
そうなると、ようやく、人は大人への階段をのぼりはじめる


このもうひとりの自分というのは、ときに頼もしくもあるが
ときには、やっかいだ
なにしろ、ごまかすということができない
さぼったこと、うまくいかないと感じた自分
憎悪感、罪悪感
すべて、知ってると言うことがある


その自分と、うまく対話しながら、生きれる
ということは、幸せであり、そういう時間を
ふやしたいと思う


もうひとりの自分と対話するとき
うん、なかなかよくやってるぞとはげまされ
ああ、まだこれから、もっとだけどねと
そんなふうないい、会話ができるということが
いいと思ってる


生きていけば、うまくいかないなと言う場面がくる
社会人になって、そして数年たち、自分が今度、指導する
側に立たなければならない、そうしたときが
ひとつ、カベなのではないか


自分が担当者としてできたこと、これを後輩に
指導する。これは、自分ができるようになることより
ずっと、はードルは高くなる
さらにいえば、相手が、関心とコミットメントをもつように
仕事をしてもらうとなれば、かなりだ


ここでも思う
このブログにも何回もかいたのだが
仕事をしてもらうという意味は、ずっと、関心と
コミットメントをもってもらうということにつなげて
いくということが大事だ


つまり手足として、ほしいだけなら、アルバイトでも
いいはずだ。同じ社員なら、自分と同じ意識で仕事を
してほしいと思うなら、はずせないことになる


ところが、簡単ではない。言葉って不完全なものだし
なかなか、伝えなくてはならない、ニュアンス、意識は
伝わらないからだ


そんなとき、思うのは、やはり、先人の知恵かな
そして、言葉だけに頼らないこと。たとえば、いっしょに
おいしいものを食べながら話すとなると、ぐっと
雰囲気も変わるということがあると思ってる


人間と人間との関係が、一番面白い
だから、まず自分との対話で、それを感じたい
そして、相手との対話も、向き合っていきたい
生きていくなら、仕事をするということが
重要です
そして、できれば、納得する仕事仲間にあいたい
それは、ある意味、自分しだいです