夫婦で趣味をもつ

今週会った、友達。ポールマッカートニーのコンサートに
行って、よかったーという話をいっぱいしていて
そういうことは、友達として、リラックスしてる、飲み会の席では
もちろん、ぜんぜん、いい話題なのですね


そういうなかで、ご本人。ちょっと淋しそうな顔をして
でもね、かみさんに言われてしまいました「あなたが、ポール好きなのは
いいけど、私はそういう話、同じ温度感では話せないのは、覚えていてね」


その友人にしたら、やっぱり、同じとはいわないまでも、近い温度感で感じてよ
いっしょに夫婦、楽しみたいじゃんということを、いいたいらしい


実際、夫婦だからといって、趣味がいっしょとは限らない
ちがう人間なんだから、ちがうように感じてあたりまえ
そうなのだけど、友人がいうように、いっしょに楽しみたい
という気持ちもわかる


ウチはよく夫婦で美術館に行きます
美術を見る、鑑賞するという意味ではいっしょ、でもね
美術館に行ったとして、どうみるかなんてことは、お互いにまったくまかせる
という感じなんですよね
先日の、ワシントンナショナルギャラリーの、エイルサ・メロンのコレクションを
三菱一号館美術館にて、見たときも、お互いは、好きな絵のところで立ち止まったり
先にいったりしても、干渉はしないのです。相手がもっとみていたかったら
ショップで適当に待っていたりします


そして、ある作品が好きということを、やっぱり言いたくて
そんな話はでますけど、もちろんのこと、同じ作品を同じように
いいとなんて、感じることは少ないです。別のもの


話はもどって、ポールが好きな友人の話
つい、おせっかいにも、その温度感がちがうのよという
奥さんのものいいは、とても、あなたを気遣っての、やさしさのある
いいかただよ、なんてつぶやいてしまいました


案の定、「えー、それはないでしょ」という反応がありました
いいえ、温度感って、いい言葉だなと思ったのです
それは、拒否してるのではないし、ときには、きっといいと思って
いっしょに曲を聴くくらいはしてもいいな、でもあなたが
熱中してるように、ポールを好き、というわけではないのよと。


確かに隣で、熱中してる自分にしたら、興ざめの一瞬になってしまう
のかもしれないですけど、だって、ちがう人間なんだもん
感性はちがって、あたりまえ。
でも、「嫌いだ」とは少なくとも言ってないでしょ・・・


実際、自分もフィフティの世代になって、まわりが子育ての
一番忙しいときは、ぬけてきて、こうして仲間と会ったりという
ことが増えてきました
そうしたとき、なんらか、「趣味」みたいな話がでて、泣き笑いのなかで
面白がってるのですね


趣味というか、お互いが好きなことしていい時間に
相手にあわせて、いっしょにいるということは、実際大事なんですけど
「無理に」やろうとすると、なかなか難しい
でもね、もうちょっと柔軟に考えると、そんなに難しいことでも
ないんですよ。お互いが好きになれるものをみつける
努力もしたいところです


たとえば、料理、うつわ、アート、音楽
ちょっとずつ、重なるところをふやしてきたということが
ありますから。あまり「こだわりや」になると苦しいし
そうかといって、こだわりを持つってことが、「好きになる」ということの
証明といってもいいかもしれないですから、バランスはなかなか、微妙ですよね


ちょっとだけ、奥さんにも、ポールのよさをわかるように
語ってあげたら、いいかもしれないですね