いい会議とは

何回か、社員の皆さんにも説明したことですが
実は自分自身、会議って苦手でした


偉い人が、会社はこうなんだと、そのときの自分にしたら
「なぜ?」「よくわからない」「そんな決めつけで、押し付けないで」
というような、気持ちをもって、苦痛の時間を過ごした
という感覚があるのです


会社という人が集まって、利益を生むのに、なにか方向を決めてやろうと
してるところに、所属してるのですから、えらい人の言うことは
聞かなくてはだめ、そんな常識というか、そういうことは、一応
知識としてはあるのです。それでも、なんで?現場でやってる自分たちの
感覚とちがう人が、理不尽なことを言う。いやだな


こうしたことが、「なまの感覚」としては、自分のなかにあったんですね
でも、よくよく思い出してみると、何回か、ごく近いところで、その
「理不尽な」ことを言ってる人の声、言葉を聞いてると、ああ、そういう意図
なんだなーとか、感じれることもあって、つまりは、コミュニケーションが
不足してるってことが、まずあるなと気が付くのです


上からの押し付けとか、言ってるけど、まず相手が「えらい人だ」という思い込みが
こちらにもあって、「上から」物事を言われてるという感覚がある
ということを、とっぱらいたいところですね
何度も話したりしていれば、そうでもないということに、気が付くという
こともありそうです


思い出すと、最初にはいった会社では、川崎支店に配属されて、その支店は
社員は50名ほど、パートさんとか、嘱託さんをいれて、70人ほどの
規模でした
そうした規模というのも、大事な要素ですね
その組織のトップが、みんなの輪にはいれば、顔や表情がじかにわかるという
規模ですね


さて、いい会議って、どうよということで
このところ思うのは、若い経験が少ない人が参加して
参加した、意味があるなと思える会議ではないかと感じます
というのは、いま当社の課題の大きなひとつは、若い人の活性化だと
感じるからです


システム開発の仕事をしていて、よく思うのは
システムが、一定のところ、規模が大きくなり、複雑になっていくのは
システムのもつ宿命といっていいのでしょうが、そうしたなか
とくに若い経験の少ない人は、自分でやってることの、意味、価値という
ことを、見出しにくい
ここを、アシストしていくということが、大事だと思う


大きな仕事をするうえでは、必須といっていいのでしょうが、仕事を
「分けて」やるというやりかたをしますね。機能をわける、工程をわける
そうしたなか、自分は全体構成からいったら、何十分の一の、ある工程の
テストの補助をしてる、そういうこと、よくおこります
もちろん、必要だから、そういう役割をふられるのだし、前後であるとか
全体の目的とかが、とらえられれば、まだ、自分のたつ位置を
見出していくのは、できそうですが、かなり多くの場合
目の前の仕事がすすんでいくことに、相当な体力と、意識を奪われていて
もう一歩ふみこんでいくということが、できてない、ということも
起こります


ゆえ、そうした、ちょっと自分としての仕事のありかたを、しっかり
見るのに、時間がかかりそうな、経験浅い人に対して
そこそこ、経験あるという人が、うまく接して、今後こうなるために
こんな勉強をしようとか、いまの仕事から、自分の少しずつでも
たとえば、設計力につながるような、意識を高めていこうとか
留意すべきことを、伝える場、若い人からも、なまの声として
いまやっていての不安だとか、やりにくさを訴えられる場として
会議が、役立てられればいいなと思います



会議って、思ってみると、実際現場の仕事を止めて、時間を作るのですから
見方によっては、コストであるし、エネルギーも使います
だから、いいスタートをして、いい時間をもてたという感覚をもって
参加して、かえってほしいと思います


会議を自分事で、できたら、いいなと感じています
今週の会議はどんなでしょう
とても、楽しみです