料理で笑顔になる

連休のうち、3日くらいは、料理をして時間がすぎる
という日がありました
私の料理はなんでもありの、ごたまぜだし
食べてくれる人がいる、と思うからやっぱり作るんだし
特別なことはないのです


食べてくれる人がいるから、料理を作る
例えば、それが乾麺をゆでてのお昼ご飯という
これ以上、簡単はないでしょという感じのものだった
としても、やっぱり食べてくれる人がいるという
のがあって、湯を沸かそうかなという
気持ちになるのだと感じます


おいしい、と食べて、笑顔になれば、それでいい
いま、NHK大河ドラマ、「花燃ゆ」にて、主人公の文は
まさに、家族が生きるということ、安心して暮らすという
ことと、幕末のドラマのなかにいる、兄や夫という
生き方に、協力するという立つ位置とで、ゆれる
というのが、ドラマの軸になってる


事実は小説より奇なりという言い方がある
ドラマである以上、筋には対立があって、すすんでいく
実は、人間が生きるということもそうなんだろうか?
つまり、花燃ゆにでてくる、幕末という極めて、特殊かつ
ドラマティックに見える社会情勢が、人間が安心して暮らす
ということを、許さないような状況が起こってる
という見方がひとつ


いいえ、人間が生きるということは、どんな時代、どんな
背景においても、それぞれ、ドラマがあり
安心して、安定した暮らしをするということと
対立するようなことと、隣り合わせでやってるのだ?
というふうな見方が、もうひとつ


ドラマの話はひとまず、おいておいて
手作りの料理を食べるということに
おいて、それがひとつの、価値といっていいような
喜びを伴うものだと感じます


こんなにうれしいことなら、ぜひみんな感じてほしいなと
思います
先日古くからの親しい友人と話していて
女性のうち一定の割合の人(その友人はそのうちにはいる)は
母親、おかあさんとして、生きる立つ位置を得るね
男性はそういうことになかなか、ならないので
自分のアイデンティティをどうするか、ずっと悩むような
感じがするという話をしました


お母さんのすることで、子供たちにご飯を用意
するということがあると思います
それは、子供にとって大事なことと、思うことと同時に
おかあさん自身にとっても、大事なことというにいつからか
気が付きました


料理で家族が笑顔になること
これが素晴らしいと思う
こうしたことを、価値だと感じてる自分を
大事にしたいと思います


ここ何年か、おいしい野菜を食べるということが大事だと
ずっと感じていて、おいしい野菜が食べれる。買える
場所を、いつも意識してるということがあります


なかなか、おいしい野菜が手に入らないということが
よく起こります
大好きなドライブとかで、郊外にでかけて、農家直売の場所に
出会ったりすると、おいしい野菜が手に入ります
そう思うと、なにか工夫するということで、手に入れることは
できるのだなと感じるわけです


いい素材を手に入れて
おいしいなと思う方法で料理すれば
おいしいものは食べられます
そして、思うのは「つなげる」努力
おいしいとか、いい野菜を得るということを
つなげていくこと
笑顔が見られたら、やっぱりできればなんらか価値あることに
その笑顔をつなげていきたい
そう、やっぱり毎日、よくばりなんです