いいものをいいと認める心

学生のときだったと思います
いいものをいいと認めるって、大事だなと
思ったことがありました


価値あるもの。たとえば、なにか製品について
2つの候補があって、どちらが優れてるのかわかること
そういうことって、大事だなと思いました


人間の心であるとか、人間の生きてる姿
いいな、素晴らしいなと思ったら、素直にそのまま
受け止めること
「あ、自分にできないことやってる」「自分だけ
とりのこされるかも」とかそういう嫉妬とかが
はいらない、いいなと思える、心の状態


いい、チームというのは、凡人を勝者に変えるという
ことが書かれています(経営品質向上テキスト 岡本 正耿 他)
仕事をするなら、いいチームでしてほしいし
いいチームであるという要素を自分で作っていけるように
なってほしい


にわとりが先か、卵が先かという話は
あるのですが、はじまりって、いいものはいいと
認める、気づきだと感じたりします 


こだわることは、自分が長期的に取り組む
大事だと思うことに、しぼります
面子にこだわる、という場面をよくみかけます
個人的なこと、自分の存在の強さを
みせるため、といったことに、時間とエネルギーが
費やされるということで、いやな思いをした
人は多いと思います
話し合いをして、面子にこだわるゆえ、本質的に
大事な、人を成長させていくだとか
成長するために、こんな仕事のアプローチがあるとか
さらに、お互いが成長や、利益というメリットを
だすために、こんな種まきをするとか。
そうした、建設的なところにいくまでに、
誰かの面子を守るために、働くことが多い


本質的なこと、言い換えれば、いいこと、ではないでしょうか


私たちは、コンピュータシステムの仕事をする会社です
ゆえ、本質的には、自分たちが関わった、コンピュータシステムの
品質であり、いかにユーザが助かるか、ユーザがひろがるか
そういう点で、評価され、発展するという、このことに
誇りをもって、注力していきたい


食べ物を作る会社なら、その食べ物の、安全性であり
また健康にいいという点にこだわるのでは?
車を作ってる会社も、安全性、快適性、耐久性など
その車としての、すぐれたところに、こだわる


生きるってこと
企業が、生きるってこと
それは、真正面から、その存在価値を高めるということを
しなければ、市場から退場するということに、必ずなります


いいことを、いいと認めて
その実現のために、自分はなにをするのか、常に考え続ける
異業種であり、文化背景がちがう人の意見、つぶやきにも
心を配りたい