さりげなさ

何日かまえの、このブログで、手紙はさりげないという
ところがいいところだと書いています


さりげないこと
その反対って、「押しつけがましい」であるとか
「うっとおしい」みたいなことがあると感じます
日本人って、さりげないということを、大事にしてきた
人々なんじゃないかって、感じることがあります


それは、絵画であり、いろんな着物の模様や色
そして、陶器などにみられる、色使い、調和の美に
感じることができるように思います


それから、やっぱり、食事ということがありますね
ご飯、お米はそのさりげないおいしさに、真骨頂があると
言っていいかなとも、思うのです
これは、まんがの「美味しんぼ」のなかのキャラクターの
セリフですが、お米がすごいのは、そのさりげない、うまさと
言っています


なにかおかずといっしょに食べて、そのおかずがよりおいしく
感じるような、食材って、なかなか他にないと思うのです
そういう意味で、ご飯ってすごい


さりげない、良さというのは、そのさりげなさを、感じさせる
そのものも、いいのでしょうけど、さりげないものが存在することで
たとえば、それを感じた自分、その存在といっしょに、空間に
あるものが、よりいい感じに映るという効果も
あるのだと思い始めました


手紙を書くということは、私にとって、とても楽しい時間に
なっているのですが、それは、ひとつには、さりげない感じで
親しい人と、交流してるという時間だからと思っています


よく、お酒をいただいてるときに、親しい仲間と、また
いっしょにお酒を飲んで語るという時間、場所、その雰囲気を
想像してるということがあります
だいたい、お酒をいただくというのは、そうした「交流」が
楽しいということが、あって、いい時間になるそういう、楽しさを
求めてると言うことが、あると思うのです


ただ、気を付けないと、お酒の席は、さりげなさのある
いい空間から、どうかすると、はずれてしまいがち。
その微妙なバランスを、保ちたいと思います


さりげなく、寄り添うというのは、人と人がいい感じで
交わる、いわば、理想形なんじゃないかと思います
友人同志はぜひ、そうありたいもの。


今年の夏は、何人か、大事だなと思える人と、いい時間が
もてそうで、わくわくします
ブレッドアンドバターの歌に、のせられて、人生の宝は
友のあることだなと、つぶやいて、そうしたことを
いつくしみたい