自分が育つ、他人が育つ

カウンセリングを語る 河合隼雄によれば
「聞く」というのは、カウンセリングにとって、すごく大事
何度もくりかえされることですが、その聞いてる自分は
どれだけ、相手のことを受け入れる、大きさがあるのだろうという
反省が必要だという、ことが載っていて、印象深いです



確かに、聞く、受け入れるというのが大事
だけど、受け入れる側にどれだけ、相手のことを受け入れる、いれものが
あるのか?その大きさは?


いろんなことを、話したりするという場合
相手がこの人に話して大丈夫かというのを、(無意識に)判断してる
ということがありそうです
だから、ある人と、話していると話は深まるのだけど
別の人とは、同じようには話せない


この点を思うと、社員の人と話していて、できるだけ
聞いてる、聞いて受け入れてると、思ったりもしているのですけど
実は相手が、この人には話すというのに値しないとして
大事なところを、話してくれてないということが、たくさん
ありそうです


立場とか、状態ということもあるように思います
つながりがないから、話せるというとき
つながってるから、話せるというとき、
両方あるのだろうと、推察します


ずいぶん前ですが、対人援助という意味では、先生と思ってる人と
話していて、相手が要求を平気でだせるようにしておく
というのが、その見極めかなという話になりました
ひらたくいうと、おなかが空いてるとき、遠慮なくごちそうに
なってることがあれば、まずは心を許してるのよと


確かに、人間、まず食べることや眠ることが満たされない
という状態では、なにかしら、やろうというのは
難しいですね。だから、しっかり食べて、寝るということが
できてるのか?というのも、いつも気にしたいところです


それば満たされてるとき、自分が育ちたいと思ってるとき
そういうときに、いいアドバイスをだしたいと思います


さて、最初にもどって、相手の話を聞く
その自分自身がどれだけ、大きいうつわとなれるか
という点、くりかえし思うのですが
自分のなかで、受け入れられる部分というのを
しなやかに、想像できる感じで用意する
それは、河合隼雄にしたがって、鍛えるとすれば
小説を読み、追体験といってことができる
心の状態を作っているということが、大事のように
思います


人の心のありようは、ほんとうにさまざまで
だから面白いとも言えますが、おそらくは、つきることの
ない、深さと多様性をもってるものと、想像します
そうしたなかで、どうしたら、自分がなにかしら
相手に、役に立つもしくは、吸収できるような、なにかを
だせるか


「すべて」という欲張り方は、よくないのだと
思います
私の立場であれば、やはりビジネスをしていく、仲間として
という視点があって、そのためにどうしていく
その行動について、焦点をしぼるということが大事だと思います


と、いいながら、原点といっていいところを、見つめるという
行為はすべてに共通のはず・・・
といったことは、必ずでてくるのだとは思います
深くて、終わりのない、冒険、鍛練でしょうね