演劇のコンセントレーション

今週の月曜日にテレビをみていると
NHK 笑福亭鶴瓶の家族に乾杯という番組にて


愛媛県のとある、島で行われてる舟踊りという
歌舞伎的な、無言で太鼓にあわせておどるという
郷土芸能の場面がでてくる


10代で、その世界に魅せられ、踊ってるという
少女の素顔がでてくる
本番、彼女のコンセントレーションは、高く、崩れない


学生のときの、演劇のけいこをしていて
このコンセントレーションの高さということが
話題になったことを思い出します
つまり、演劇で、自分でない誰かを、演ずる、わけですが
なかなか、この役に集中(コンセントレーション)ということが
やりきれないのですね


自分から離れられない。「照れ」といったこともあって
つい、自分の感情が先にでる
例えば、役でいえば、「怒ってる」シーンなのに
にやにやしてしまう


一般の、演劇などで、トレーニングをしていない人にしたら
普通の、感覚なのかもしれないです。なかなか他人になりきる
もしくはなりきるふりをする、ということでも
それはそれで、結構大変です


ここで、話がとぶようで申し訳ないですが
演劇つながりということで、理解してください。
延ずる、ということをする、ロールプレイングを
取り入れた、研修
なかなか、自分ということから離れられないのですね


ロールプレイゆえ、役割を演じてこそ、というところが
あります
もっとも、「演技論」の本において、役を演じるというのは
その人になりきるのをよしという、説と、もうひとつ
その人になりきるのではなく、意識として自分が
演じているということは、しっかりもちつつ
冷静にその感情なり、表現をするのだという説と
あります


仮に、なりきるのをよしとする考えとすると
たとえば、ロミオとジュリエットをやるとき
ジュリエットでもロミオでも、本当に恋人を失った
悲しみから、自殺する苦しみを、感じるということを
よしとするということになります


演技論の話はさておき


ロールプレイにおいて、コンセントレーションを崩さず
やるというのは、実はトレーニングがいるのかも
しれないです


人間は、性格はすぐには変えられない。けれど
行動は変えられるでしょうという、ことが、研修の
ノウハウ本に載っていたりします


積極的な行動をするのがいい、と書いてあって
なにも、急に性格が積極的になるようにという
一足飛びの事は、求めていない
でも、積極的に見える、少なくとも消極的に見えない
たとえば、大き目の声、声のトーンをひとつあげて
あいさつをしてから、話し出す
そういった、行動は、そうするのが、いいほうに「見える」
と理解して、そういう行動をしようと決めれば
できることですね


人の行動や気持ちは、双方向のことがあって
作られていきますから、いっときでも、積極的と
みられたら、そういう扱いをまわりがしたりして
そのことが、自分がいいなと思えたら
続けていけるかも、しれません
そうなれば、しめたもの
他人の目からは、あなたがずいぶんと積極的な人に
映ることはまちがいない


こうしたことを、研修とかでは、疑似体験して
その行動をめざすのが、よくあるパターンです


だから、やっぱり、大事ともいえますし
その最初の、やってみよう、行動してみようという
自分でいわば、演じてみるということがスタートできないと
くわしくいえば、ある面「なりきって」スタートすることが
できないと、なかなか、うまくいかないのかもしれないです


それでもね、やってみる、まず身体をそのとおり
動かしてみるって、大事なことですよ