演じるということ 2

NHK大河ドラマの、Webサイトのなかで
明智光秀を演じる、長谷川博己は、斎藤道三役の
本木雅弘について、斎藤道三になりきってる、すごいなと
コメントしています


ドラマで、ある役を演じるということ、それも
長い時間、出続けるそういう役は、ある面大変だろうなと
思います。その本木さん。先日の「家族に乾杯」に
出演し、「え、セリフもなしに、他人の家に、飛び込む?
自分にはできないなー」とつぶやいています
このつぶやきから、想像するに、本木さんは、台本を
読み込んで、役作り、つまり役に入り込むということを
するんだなと、想像します


役作りをすること。集中力をもって、その役になってること
大学のときに、「コンセントレーションが崩れない」といって
演じる人の、評価の高さのひとつに、していたのを
思い出します


森山良子が、アルバムのなかで、歌というか、芝居ともとれる
音楽劇といっていい、「50年を2分半で・・・」という
歌を、やっています
自分のいまの世代に近い、70代かという女性と、まだ
30代かという男性が、ちょっとしたやりとり、それも
ほっこり、ふんわりした、昔の恋を語るそんな歌です


70代の役の中の女性が、回想をはじめ、10代のころに
飛んでいきます。森山の演技は、上に書いた、本木のものとは
また違う味わいなのを、感じます
いいえ、下手だとか言ってるのではありません


役作り、というとき、ほぼその人になりきってるような
そんな、作り方と、自分とその役との間が、少し感じられるような
といったらいいか、そういう、微妙なやり方があるように
思います


「なりきってる」というのは、ある面いいのですが
役によっては、どうでしょうか?
それは、たまにみる、生の「舞台」での役者がときどき
「地」をみせるから面白いといったことと、関係してる
かもしれません
必ずしも、なりきっている、その状態を崩さないのが
見ていていいかというと、そうとも、限りません


ほんの少しですが、演劇にふれて、演じたことを、自分で
思い出すと、この微妙さって、わざとやろうとすると
なんというか、野暮ったくみえるものです
なかなか・・・


演劇は、自分との対話、演じる役の人との対話
そして、演出家との対話でしょう
だから、面白い、そして難しいです