関心の自立

若いとき、は、多かれ少なかれ、やっかいななにかを
持ってるものと思います
例えば、自分自身への思いです


自分って、どんなものなのか?わからない
だから、いろんなことをしてみる。それは
健全な態度とも言えます
人の気持ち、人の考えに沿って、なにかをしてみる
そうすることで、少し自分との差とか感じられたら
自分へのアプローチになるでしょう


メルマガを続けて読んでいる、リスペクトしてる
柴田励司氏は、その文章で、高校時代に尊敬する
人がいて、その人を追っかけて、大学にも入ったと
言っています


そういう追っかける気持ちも、ときにもっていいかも
しれません


そういう、一面やっかいな、なにかを持ってる
若いときから、自分として、どう生きるかを決めて
そのやっかいなものを、自分の個性に変えていく
そういうことが大事なのだと思います


自分を磨いていく、そのためになにをするのか?
そう思うと、はたと思いつくのが、「関心の自立」です
ちょうど、携帯のアンテナがたつように、ある事象について
自分の関心が立ち上がること、そしてそれを意識して
やるのではなく、習慣化して、無意識に関心を持つ
までに育てるのです


それは、トレーニングでできることです


そういう、自分を磨くために、〇〇をやる
意識してやる、そして意識しなくてもできるようになる
こういう過程は、楽しいとも言えます


チームビルディングということに、関心があります
そこから、派生して、「寝食を共にする」ということが
チームビルドに有効ということを、感じています


そこで、わが社では、年に3回ほど、メンバーを変えつつ
合宿といっていい、研修を組みます。「泊」をいれて
あえて、いっしょにいる時間をふやすのです


ときどき、そんなこと、時間をかけるだけなら
「泊」でなく、「移動」も少なくしてできるはずだと
言ってる人がいたりします


このあたり、どうやら、人は、「非日常」だから
集中もするし、気持ちや発想もほぐれて、いいなにかを
見ることができると、思うのです
ゆえ、わざわざ、移動もし、泊もやります


わが社には、若い人が多いです
この若い人がいかに育って、活躍するようになるか
そこが、わが社の発展の大本です