麒麟がくる

麒麟がくる NHK大河ドラマ 11/1放送分


後半の10分を割いて、片岡鶴太郎演じるところの
摂津晴門。信長が帝を巻き込み、朝倉家とのいくさを
するとき、いままでの経緯から幕府を巻き込むことを
望んでいた信長であるが、この摂津の動きは
まったく、保守的、まったく、今後の信長のあれこれに
逆らっていくという感じ。


ここで思うのは、すでにこのとき、幕府は、組織として
腐敗してると、みるということ(少なくとも今回の
脚本を書いてる人はそう、洞察してるとみる)


権力はその権力が力を持ったその瞬間から腐敗を
はじめるということが、言われます。
中世→近世のまさに、扉をひらいたと言われる
信長と、対立する、まさに中世を人の形にして
ものを言わせてる、そういう設定といっていいでしょう


今回の麒麟がくる、では、信長の革新性といっていいこと
また、足利義昭の、庶民に添いたいというきれいな心
そして、この摂津のような、保守的な考えで、自分を
この組織を守るということに、力をいれるそういう存在
これらが、からまって、ある種の現実感をだす
ということが、狙ったところといえるのかも
しれません


演劇、である、以上、ある部分について、デフォルメというか
純化して、「対立」の構図を作り出すところがないと
よくいわれる、序破急だったり、演劇としての、筋立てが
わかりにくくなるので、どうしたものか?
ということを、脚本を書く人なら、きっと思いを持ちますね
そうなのですが、あまりに単純化すると、リアリティが
減っていってしまう・・・
ここも、悩みどころと言っていいかなと思います


8月くらいに、懐かしい映像が見れました
1973年のものだったと思います。司馬遼太郎原作、国盗り物語
高橋英樹織田信長火野正平豊臣秀吉近藤正臣明智光秀
平幹次郎、斎藤道三


時代もちがう、もちろん、見る人の価値観、求めるものもちがう
久しぶりに見た、映像は、新しかった。いまでも
見る価値が高いと思えました


麒麟がくる、本を書いた人は
古い人のようです
その作者が言いたいことは?
これから、出てくるのでしょう
時代に翻弄されながら、生き抜いていく、英雄たち
まだまだ、楽しめそうです