大河ドラマ

今年の青天を衝けは、結構、気に入っています
主人公の演技もまずまず、やっぱりわきを固める
豪華な俳優たちが、押し上げてるということもありますね


大河ドラマというのは、俳優にとっても、一つの頂点とも
いえる存在なんだということを、たまたま、テレビを
みていて、知りました
また、去年、麒麟がくるにて、途中中断ということになったとき
過去の番組を、紹介するわくとなっていました
自分が小学生だったと、記憶する、国盗り物語、このときの
俳優陣がふりかえる、そのことは、とても楽しくみました


高橋英樹近藤正臣が語ります
まだ若かったということ、この番組が出世作といっていいと
思われます。そう思うと、大河ドラマも、ずっと若手を育ててる
という見方もでてきます
この番組で、高橋英樹は、自分のなかに、信長が降りてきた、つまり
信長そのものが、乗り移ったように感じながら、演じたと、しゃべりました


この降りてきた、ということ。直木賞をとった、安部龍太郎の「等伯
の解説においても、しゃべってることです。安部自身に等伯
乗り移り、まさに等伯が、いまの世に、自分を知らしめるために
安部という身体をかりて、表現してるというのですね


演じる、ということは、どういうことを、いうのか?
かなり前から、二つの説があります。
「そのものになりきる」ということ
「自分は自分として、冷静であって、役を表現する」


そのものになりきる、これはすごいことともいえるのですが
はたして?と、?がつくこともあるのですね
なにをいってるかというと、業火の中で焼かれる役を演じたと
したとすると、その場面をくりかえすごとに、本当に火で、やかれる
苦しみを味わうということになるのですよと、ある解説書に
書かれていました


さて、大河ドラマ。ほとんどは、歴史の物語を、ずっと追います
描きおろしということも、あるようですが、原作があって
ということですね
来年の大河ドラマは、鎌倉時代だそうですが、鎌倉時代というと
大河ドラマでいえば、「草燃える」の原作を書いた、永井路子
います


つい最近、鎌倉春秋の冊子に、永井が文章を載せてるのをみて
ああ、お元気なのかなと、うれしくなりました
その永井、自分でもいつか書いていたと思うのですが、「小説」という
ツールを使って、歴史のある場面を推理するということをすると
言っています
今、どうなのか、確かめていませんが、あるとき、源実朝の暗殺の
黒幕は、北条氏だという、そのころの、一般的な説に、永井は
違う意見をもっていました。これは、この草燃えるのなかでも
そのとおり、場面がでてきます。永井はあることから、黒幕は
三浦氏と見抜き、そのエビデンスも提供しています


大河ドラマは、日本という、長い歴史と、それこそ、歴史にあるドラマを
ずっと紡いできた国だから、できる、ことといっていいかもしれません
これからも、楽しめる、内容があるといいなと思います