親しい人とのひととき

若さというのは、実年齢にくっついてるものでは
なくて、その心の状態、生きようという気持ちの向き加減
それこそ、なのだと、サムエル・ウルマンはYouthという詩の
なかで、うたいあげていますね


その実現者だなという人が、親しい人の中に
います。なにしろ、80歳を超えて、新しい友達が
できるのです。びっくりでした


その人の魅力は、人の気持ちにすっとはいっていけること
よく人の話を、全身でうけとめることができること
なんですね
その、気持ちにはいっていけるというのは、裏返しに
自分自身の開放性ということも、あります


話は横道にいきますが、この開放性というのが、なかなか
難しいと、言います。社員研修で、ワークショップの手法を
ちょこちょこ、用いてやっています。ワークショップ、自分の
考えたことを、そのまま「さらす」というのが大事なポイントです


そうなのですが・・・
このさらす、つまり粉飾決算はなし、自分自身のそのままをさらす
これが、なかなか、です
ついつい、見栄をはる、つい、思ってもいない、ことを勢いで言う
なぜだろう?多いパターンは、ふだんから自己肯定感が低いのですね
だから、自分自身をそのまま、見せるということにとても、抵抗がある


こうした話は、グラデーションなところ、ひとりひとりそれぞれとも
いえますが、相当な割合の人が、グラデーションでこうした、自分の状態を
もってるものです。だから、それだからこそ、いま私が書いてる親しい人
Mさんにしましょうか、Mさんと接する人は、本当に開放してるその
人柄に安心もし、あこがれもし、いっしょにいたいなとなるのだと
推察します


ワークショップの話をちょっとだけ、続けますと、ワークショップは
考えて→さらしてみて→意見をもらい→気づく。このサイクルをまわすのだ
ということになります。このワークショップのやり方を使って
「自分の原点を語る」という、テーマでやったことがあります
お互いの理解ということでは、なかなか有効です。上にも書いたように
本来、ワークショップの「肝」といっていいところが「さらけだせるか」
なので、ここがどのくらいできるか?ということが、いい話し合いに
なるかどうかの、一つの境目にはなります


十分、さらけだせて、となれば、いいものにか必ずなります
そこは、たとえば5人いれば、5人それぞれ、さまざまです
また、さらけだせるかということと、うまく伝わるように話せるか
聞けるのか?といったことも、要素としては大きなものです


カウンセラーというのは、いかに「聞くか」ということの訓練をする
ということを、聞きます。聞き手が本当にいい感じで聞いてくれると
相互作用というか、実際話してる人も、あ、自分はこんなことまで
しゃべるつもりじゃないかったのに、つい話していた、そんなふうに
いい感じの時間になります


人は、人とやりとりして、気づいて、エネルギーをもらうという
ことがないと、元気がなくなってしまうものです。
そういうことを、ずっと思っています。そんななかで、社会問題みたいに
孤食」なんて言葉を聞くと、背筋が寒くなる感じがします。十代だったり
とにかく、これから大人になっていくという、多感なときに、食事するのが
ひとりきり。その日あったことなど、しゃべる相手がいない、なんていうのは
なんて、なんて、寂しい、また、成長につながらない、時間でしょうか?


若い人に、私がMさんを慕い、いっしょにいる時間を大事にしてる
そういう要素を、ぜひ伝えていきたい。人と話をする、それだけで
いかに、自分の心の栄養になり、また、気づき、成長につながることが
でてくるか、伝えていきたい
そう考えると、自分が生きてる、その意味を、深くできるように、思うのです