演じること

先日、ごくごく、身近にいる人と話していて
このブログにも書いた、尾上松緑さんのコラムの
ネガティブな自分を、まずは受け入れて・・・という話
をしたときに、その身近にいる仲間は(Nさんとしましょうか)
その、自分の性格を受け入れるということもあるのでしょうが
歌舞伎役者である、尾上さんの「演じる」という生き方が
いいと、そういうつぶやきをしました


このブログに演劇の一つの、効果というかいいところ、として
演じるという行為に、ピンポイントでなにか、というより
ひとつの舞台を作り出すときの、それぞれの役割、大道具から
はじまって、そうした、スタッフ全員が動いて、作り出す
ということ。アンサンブルという人間が協力して、作り出す
その過程そのもの、といった視点を書いています


演じる、ということ
これも、ブログでふれたこともあるのですが、この「演じる」と
いうことを、掘り下げようとすると、河合隼雄先生がいってる
ところの、俳優と、カウンセラーは似てるところがあるという
話に、まず、言葉をつなぎたくなります


演じること。他人を生きてみるといっていいかもしれません
このことは、カウンセラーが他人の、気持ちを自分のものとして
受け取る。「自己一致」だったり、「共感」ということに
つながっていくと、思うのです


英語のレッスンを大学だったか?で受けたとき、確か外人講師の
人が、ロールプレイ的な、会話、というか対話、という感覚で
やる時間がありました。そのとき、ESSでドラマを少しやっていた
自分は、すこしエモーションをのせて、そのロールプレイのなかでの
セリフを言いました。外人講師の、目に力がはいりました。どういう
言葉で褒めてもらったか?忘れましたが、とても、うれしそうに
そう、そういうふうに、ロールプレイをやってほしいんだと、いって
いました


なぜ、外人講師はそんなに、喜んだのか?それは日本人がシャイで
英語のレッスンのためと、頭では理解していても、他人のまえで
演じて見せる、それも、エモーションをのせて、いわば
「さらしてみせる」というのは、苦手なのでしょう。ほとんどの
学生は、エモーションのエの字ものせずに、小さい声でやるのです
そこで、声も大きいし、このロールプレイの肝といっていい
役割を演じるということを、やってみせたので、喜んだという
ことがあるのでしょう


また、日本人の多くは、90%台の後半の割合が、日本人という環境で
育っていて、アピールなんてしなくても、相手に伝わるのは
あたりまえ、という環境で育っちゃうということも、あるでしょうね
(いまは少しずつ変わってるとも言えますが)


こんなふうに、「演じる」ということを、思い出しながらその
周辺の、自分のまわりにあった、出来事を思い出してみると、演じる
ということはやっぱり大事ということがあります。さらに、これからの
時代はもっと、演じる、アピールするということの重要性が増す
ということも、予想されます


演じること。他人になってみること
これは、やってみると、なかなか、奥が深く、楽しみもある
ということに、気づきます
仕事にも、活かせる、とも、思います