河合隼雄先生

カウンセリングを語るという本で、河合隼雄先生の言葉を
なんども、読み返し、ときどき自分がやってる、たとえば
一対一の、面接の場のときの、注意として、自分自身に
言い聞かせたりしています


人を指導すうというとき、対人援助という立場で
接するとき、どんなことに注意したほうがいいのか


「聞く」ことですということがあります


聞いて、その相手を受け入れるということだと、受け取りました


聞くというトレーニングもずいぶんしなくてはならないなと
思うのと、もうひとつは、聞いてる自分自身のうつわ、ということが
あるといいます


たとえば、10代の人を、カウンセリングするとき。
カウンセリングをうけるというときは、どんな話になるかというと
あまり、楽しい話はないのですよと。たとえば、先生をなぐってやろうと思う
だとか、学校に行きたいくない、不登校の話だとかがでます
そして、理由をたどっていくと、両親と、うまく話せてないだとか
そういう問題まででてきます


問題がでてくるのはいいのですが、やっかいなことは
でてこないことだといいます
つまり、カウンセリング、指導してる側を、されてる側が
いわば、値踏みして、この人に話してもだめだなと
みられると、話してもくれない


指導するというのは、まず、コミュニケーshンがとれるのかな
というところから、はじまるようです
どうも、様子をみてると、なにかひっかかりがあって、
気持ちがすっきりしてないようだ。それは感じる
そこで、話してみても、「実は・・・」という話には
ならなくて、特段、困ってることなんてありませんとか
そういうふうに、心をひらいてはくれない


指導なんてことは、あわよくば、こちらの言い分を聞いて
相手に行動をかえてもらおうというところまで
することですね
ところが、指導する側と、される側。心を開くどころか
すれちがってることが、多いのではないでしょうか


こういうことは、河合先生の本を読んで、むむむ
さもありなんとして、知識としては持ってるのですが
実際、社員と相対して、しゃべってるとき、まま、自分でも
やってしまってることなのかなと、反省します


相手に意識を、変えてほしい、と感じたとします
わかりやすくいえば、もっと積極的に仕事してほしいと感じたとします
その相手の振る舞いを、変えようというとき
あなたもっと、がんばりなさい、はいがんばります
などと、ものごとが進むでしょうか


なかなか、ということです


そこで、まず相手の言葉を、受け取る
心のなかの、なにかを受け取れることから、丁寧にやってみよう
ということ。そういうことを、自分自身に言い聞かせつつ
生きています


こういうこともありました
同じくカウンセリングを語るの、後半にでてきますが
ある事例をだして、年配の女性がきて、若いお嫁さんのことを
愚痴る話から、だんだん、その人が宗教的なめざめを、体験する
という話が心に残っていました
そのとき、河合先生がいったこと
「牛にひかれて善光寺参り」ということだと。
自分にとって、この牛にあたるものはなんだとうと
考えました
いいえ、いまも考え続けています


おそらく人間、一定以上の年齢になったとき、牛をおっかけてるのだと
気づくときがあるように、思うのです


勝手な解釈をしてますが
そういうふうに、幾通りも読めるのが、河合先生の本のすごいところ
のように、感じます