美しいもの

自然


東山魁夷は、唐招提寺の御影堂の襖絵を書くときに
おそらく鑑真が、何度も試み、失敗し、死を覚悟しながら
日本に着た、その日本の一番美しいところを
描こうということで、何年にもわたり、日本をスケッチ旅行して
その山の美しさ、海の美しさを描いたという話がとても好きです


今回、東山魁夷と、家族ぐるみのつきあいをしたという
川端康成の「古都」という作品を読んでみました


東山魁夷の作品は、心が澄んでいて
人になんというか、やすらぎや、日本の良さを感じさせてくれる
ような、その人柄のなごやかさであるとか、まっすぐなところ
というのを、作品から思っていました


そうした、東山魁夷の、人となりから、その人と大変
親しかったという、川端であれば、なにかつながるような
作品ではないかと、想像していました


はたして、川端の作品は、日本の美しさを、賛美してる
ように思いました


日本の美しさは、自然であり、人なのかもしれません


まっすぐな、育ち方
という言い方で、人の気持ちの、美しいところを
川端は表現したようです


思えば、日本人がよしとする、生き方というのは
和を以てと尊しとなす、この一文に、あらわされる
心のおだやかさ、心を、澄んだ状態にとめおくということの
高いことを、めざしてるところ、そういったこと
なのかなとも思います


禅、であり、茶の湯といったことも、こうした心が
底辺に根付いてるからこそ、発展してきた
ということが、あるんだと、気が付きます


ときどき、人を指導する立場である自分は、どういきるんだ
という反省をしなくては?と感じます
実際のところ、自分の生きてるそのものが、手本と
ならなくては、本来指導というのは、難しいといって
いいのかもしれないです


川端康成は、東山魁夷に、昭和30年代だといいます
京都の美しさが、どんどん失われてしまう
いまのうちに、京都をあなたの筆で残してほしいと
いったとのこと


その東山の描いた、京都のいくつかが、とてもよくて
何年か前に、その風景をたどって、歩いてみました
実は、昭和30年代と言えども、そのころすでに、東山が描いた
世界は失われつつあったようです
そのとき、「目休め」といって、きれいなところだけ
すくいとるように、描いたのが、その絵だと
後で知りました


画家が、風景の美しさを、一般の私たちに教えてくれることは
とても、意味あることのように思います
それは、見過ごしてしまう、美しさに気づいて
それを、愛で、言ってみれば、自分の人生を、豊かにできるのでは?と
感じるからです


こうした、作家や、画家の生き方にあこがれ、私もなにかしら
豊かな心に近づきたいと、感じます