手紙

あるときから、手紙のやりとりというのが
好きになりました


電話、メールといまは、たとえ、離れていても
連絡とる方法はあります
とくに、メールが発達して、私のいまの多くのパターンは
メールが、かなりの部分しめています


でも、手紙には手紙のよさがあります


川端康成と、東山魁夷の手紙を読むということを
今年はいたしました
きれいな紙に、毛筆で書かれるような、まねできない
手紙です
言葉づかいは、ていねい、また尊敬ということが
あって、これも、いまは自分はちょっとまねできないかも
しれません
あこがれる、世界です


あこがれる、その第一は、尊敬しあってるということです
川端と東山の関係が、かいまみれることとして
川端が旅だったとき、その急報をうけた、東山が九州から
鎌倉まで、夜と徹して、かけつけて、川端の夫人にあった
瞬間、お互い手を取り合って、涙を流したという記述を
残しています


美という、いわば、かすがいを通して、お互いの人生を認め合い
尊敬しあい、心の高い部分でつながり、その絆は、太く、生きることに
おいて、大事なものとなっていったというのが、わかる。その
尊敬の高さ、お互いをしっかり思いあってる、家族とはまたちがった
強い、結び付きにあこがれます。ある種の師弟愛といっていいかも
しれません


そんなレベルには、全然遠いのですが、親しい方に
手紙を書くことを、ときどき、します
実際、自分がその高さにいけないのですが
なかなか、尊敬という一点を高めていくというようには
いかない、自分の弱さというか、さぼってる感じが
ありあり、あって、なかなか、難しいですね


でも、人生の先輩として、川端、東山のような生き方を
した人が事実いて、後から、こうして読める、というのも
いいものですね


去年、今年と、同じ時間を過ごした、人が虹をわたり
ああ、人生って有限の時間を生きてるんだと、感じるタイミングでした
そうしたなか、できれば、ああ、いいつながりだなと
思える人と、またそういう交流自体を、ぜひちょっとでも
多くしたいなと、思うこのごろです


だいぶまえから、「負うた子に教えられ」ということが
してみたいということを、思っています
灰谷健次郎の小説のシーンから、あこがれた、ことなのですが
少しだけ、その感覚が自分で感じることができはじめた
ようです
負うた子だから、自分が感じる大切さ
そうしたことにも、敏感でありつづけたいですね