東京ステーションギャラリーにて、不染鉄の回顧展を見ました
描きたいのは、ふるさと、なのでは?
「ともしび」という作品がありました
描いてあるのは、障子が、おそらく、囲炉裏の火で
うかびあがる、そのことだけ、描いた絵です
画面の下の部分に、日記とも、手紙とも、詩とも
とれる、文章がありました
日が暮れて、山も野も見えなくなり、ただ、人が住んでる
家から、あかりがみえる。おそらくは囲炉裏を囲み
家族がご飯を食べてる、あたたかな風景が想像できる
そのあたたかみ、それはまさに母といっていい
ああ、母に会いたい・・・
母、ふるさとを、追い求めて
20代に3年滞在したという、伊豆大島の風景を描きつづけ
大島であり、伊豆から幾度となく、ながめた富士山を描いた
奈良の西の京の田園のなかに、うかびあがる、薬師寺の東塔であり
唐招提寺の金堂、想像上のお寺の姿、生まれたという、小石川の寺に
あるといういちょうの姿
どれも、最初、曼荼羅図かなとも、見えたのです
そして、さらにみていると、ふるさとに思えてきました
NHK仕事の流儀という番組で、とりあげられていた
会議通訳者の、日本の第一人者、長井鞠子は、「ふるさと」を
どう英語訳をつけるかということで、心をくだいていました
東日本大震災で、失われた、ふるさと、その大事さを、ひとことに
こめて、訳していきたい、その大事なこと、大事にしてるニュアンスを
しっかりつたえたい
言葉というのは、発する人の気持ちがのって、伝わっていくから
生きた言葉となるということがあると思うのです
不染鉄は、おそらくは、絵を描くという行為そのものが
自分がふるさとを求めてる、そういうことと、同義、つまり
生きることが、ふるさと求めること、表現として絵を使ってる
そういうことなんだろうと、思います
信州を、奈良を旅しながら、自分のふるさとを追い求め
ふるさととはと、考え続ける生き方
かやぶき屋根のしたには、ふるさとがきっとあると
信じて、絵を描く姿
言い換えれば、日本のよさがあると、信じた生き方と
言っていいのではないでしょうか