話すこと、書くこと

人間は、どうしても「言葉」を使って
物事を考えるということがあるので
話したり、書いたりということは
考えることを、進めるのに、大事な方法といっていいかと
思います


「書く」という行為は、たった、いま、も私はパソコンに
向かってこの文章を書いてるわけですが
誰かに伝える、ということを、意識して書くということが
ありますね


もちろん、話すもそうなのですが
誰かに伝える、ということが、主眼になると
考えるということのなかで、考えを深めるというエネルギーが
伝えるというエネルギーを使う分、減ってしまうように感じます


同じ方向を見てる、仲間と話し合いをして、考えが深まる
というのは、よくあります
話すというなかに、まずいま、自分の頭にあることを
説明してみせるということがあります


仲間であり、同じ方向をみてるとすると
似てるところのポイントはおさえて、観点を変えて
自分だったら、こう考えるとか、参考意見をだしてくれたり
するわけです


料理をするとしましょう
料理をするとき、このサラダにはどんなドレッシングを
使うか、油は、スパイスは?


ここで、サラダを作るという行為、については合意なわけです
いわば、同じ方向としてある
そこで、どうスパイスを利かすかについて
自分なら、こうだとかやるわけですね


これが、書くとなると、スピードもちがうし
そうはいかないとも思うのです


ただ、ひとりで、というときには
書くというのは、有効とも思うのです
自分が、数分前に思ったことを、眺めながら次の
展開を思ったりというのは、面白い


数分といいましたが、数時間、ときには数日たって
その書いたものを、見直してみるということが
面白いということもあります


自分が変わるので、書いたときのそのままの
ニュアンスというのは、遠くなります
一方、いわば、別人になった、自分が自分の考えたことを
再評価するということにも、なります


言葉を使うというのは、くりかえし、思うのですが
万能ではない、不完全なものだと、感じています


だから、話したり、書いたり、もちろん聞いて
見て、つまりはひっくりかえして、何度もみてみる
ということが、有効ともいえるかもしれません


言葉以外で、伝える表現と、あいまって、言葉を送る
というのが、実はいいのかもしれないです


映像作品をみて・・・というのは
やっぱり一定の効果はありそうです