父への思い

独身のときに、週末誘ってお酒を父と飲むことが
ありました
私から誘って、酒宴になると、うれしそうにお酒を
飲み、「俺は哲也の相手をしてるんだぞ」とこれも
うれしそうに、言うのでした


歴史が好きな父でした
いまの、日本はどうやら、律令制度が整う
飛鳥時代に、さかのぼることができるようだと
そんな話をしていました


不謹慎かもしれないですが、それよりまえは、実際
残っている文献が少なくて、はたして、日本がどんな
だったのか、わからないのが、事実なのでしょう
アマテラスオオミカミが、日本を生んだと言いますが
持統天皇の時代にかかれた、いろいろがあって、
アマテラスオオミカミという存在があるという符合について
話していたようにも思います


職業は、公務員でした
「人に説明する」というのが、仕事だったからか
よく、家に帰っても、仕事の話をしていました
戸籍の担当になって、「印鑑証明書」の扱いが軽い
もっと、使う人に注意喚起をしなくてはなんて
話していたのを、思い出します


失業対策事業の仕事をしたときに、早くいえば
反社会的勢力の「親分」とわたりあったというのは
父の定番の自慢話でした


「死」について、語ったことが
ありました
人間、「何かをやりきった」ということがあれば
心やすらかに、死んで行くことができるのではないか?


そうした、言葉を思い出すと
吉野秀雄がいうところの
「死をいとい、生をも恐れ人間のゆくえさだまらぬ心思うのみ」
こんなつぶやきが、その意味をかみしめなさいと、迫ってくる
思いがします


とても、慕っていた、やはり親に似た世代の
人から、「父親」というのは、自分の精神的支柱に
なってるものだ、と聞いたことがあります


影響は大きいのですね
知らず知らず、判断の基準が父親の生き方に
よってるところが、ずいぶんあるようです
そんなことから、かえるの子はかえるになる
同じ職業を選ぶ人がいるのでしょう


いま、思い返して、くりかえし思うのは
父は、父のできることすべてを使って
子どもを育てる、子どもを守るということをした
ということです


「あたりまえ」ということかもしれません
おそらく、父の言葉を借りれば、あたりまえ、と
世間が言うことを、自分で納得するまでやることは
大変だし、意味があるんだと、言うでしょう


あたりまえを、納得するまでやる
いい生き方とも、思えてきました