円山応挙

円山応挙の、竹の絵を見ました


京都、一乗寺にある、圓光寺


ここに円山応挙の雨竹風竹という屏風絵があります
みていて、墨の濃淡で、風、雨を描き分けるたくみな
工夫に驚きます


風と雨をくらべれば、風のほうが見通しがきく
ゆえ、遠近感のとりかたが、風と雨でかえてあります
こうして、風の存在、雨の存在を感じると
まるで、風がまさに、額にあたってるような錯覚
そして、音もない雨が、いろんなものをさえぎり
自分をひとりにしてくれるような、そんな気持ちに
さえなってきます


思い出したのは、川合玉堂の彩雨という作品でした
奥多摩が舞台と思われる、雨を描いた作品
ここにも、雨は、静かさで、こちらに雨なんだと
伝わってくるような、風景の絵です


京都には、たくさんの寺があり、庭園であり
仏像といった、文化財が、なんといったらいいか
そこらじゅうに、という言い方は、文化財のありかに対して
まことに乱暴な言い方なのですが、え、こんなにあるの?って
くらいあるのですよね


京都の寺、というと、どうしても大きな寺を思い浮かべますから
自分の生まれ育った場所に近い、鎌倉に比べて「派手」だとか
思っていたのです


しかしながら、今回こうした、東山にひっそりと、ある寺を
訪れてみると、やっぱり、寺は「静寂」を感じるから
いいんだと、思えて来て、寺という存在のもともとあるのは
こういう、静かさと一体のものだなと、思いました


枯山水の庭というのは、京都のひとつの象徴といってもいい
場所ともいえると思いまs
もちろん、京都以外にも、枯山水の庭があるのは知っていますが
京都らしいということで、あげてもいいとも思うのです


この枯山水というのも、静かさと一体になってこそ
感じられる、リズム感、空間の豊かさといったことが
あるとも、思えてきます


日本文化の、一番日本らしいものとして、茶の湯
揚げる人が、多いように思います
この茶の湯も、静かさと一体といっていいかもしれませんね


こうして、ならべてみると、日本人が一番日本らしい
ということには、静寂があってこそ、なんだと気づくように
思います


京都にて、素晴らしい、文化にふれることができました
こうして、素晴らしい絵に出会ったりすると
また、この作家の絵を、見てみたくなったり
興味はつきないのです