京都を語る

昨日、とても、いい時間が過ごせました


お互い、京都が好き、と言える、そういう人と
お酒を飲む、時間でした


つい、東山魁夷の、「京洛四季」が好きなんですと
話していました


京都の自然は、庭園であり、
京都の庭園は、自然である。


この言葉が、京洛四季にありますが、こんな
素敵な絵本、できれば、これを見本にして、絵本を
作りたいんですと、お話ししました


自分の語彙の少なさ、またイマジネーションの貧困なことを
なげきつつ、それでも、話したくて、話してみました
話しているうちに、少し気づいたことがあります


描く場所(もっとも、絵を描くのは、私のかみさんですが)は
安曇野と、漠然と思っていますが、
その安曇野の、山下大五郎の絵のような、視界が広がる
風景の絵が、基本と思っています
それは、きっと変わらないのです


さらに、絵具、日本画の絵の具の素晴らしさが、でる
ような絵。昨日、日本画は、絵具が違うんですねと
話ながら、東山魁夷の、唐招提寺のエピソードも言うか
言わずかと、迷いながら、昨日はやめました。


油絵を描いていた、人が、日本画の絵の具の色の素晴らしさに
気づいて、日本画を描くようになった話は披露してみました


話はもどり、京都は庭園がいいのです
そして、上に書いたように、自然とも見えるそれが
すごいところといっていいのでは、ないでしょうか?


曼殊院、青蓮院、と前回、訪れたときの、庭の美しさ
円山応徳の竹林の絵が、写し取った、竹の美しさ
あげれば、限りないのですが、庭園に、特別な空間があります
きっとそれは、他にないのです


また、京都に行きたくなりました
そして、できれば、言葉でも、京都をとらえてみたく
なりました