三十六歌仙

ときどき、年数を経て、語り継がれてる
親しみ続けてること、に、いいなと思うことが
あります
「古典性」といっていいのでしょうか
古くならない。本当にいいものというのは
古くならないのだと、教わりました


京都で、三十六歌仙の掛け軸になってる絵、絵に
添えた、和歌をみました


秋来ぬと目にはさやかに見えねども
風の音にぞ驚かれぬる

藤原敏行

⇒秋が来たと目にははっきり見えないけれど
風の音に、はっと気づかされた


京都でこの秋に、見ることができたことは
なんといったらいいか、心に深く、残る出来事に
なったと思います


画家、東山魁夷は、京洛四季のなかで、枕草子
歌った、美しい京都をいまも感じることができると
書きました。画家の目をもたない自分がそのまま
そうだなどと、軽くは言えないのですが、三十六歌仙
導きにより、想像してみたくなっています


庭、という意味では、今回、法然院にてしばし、庭を
ながめている、時間をとりました
東山のすそ、哲学の道から少し、斜面をあがったところに
ある法然院は、なつかしいという感情を呼びました


斜面にある、寺。生まれ育ったところから近い鎌倉は
寺が多いのですが、そのほとんどが、裏山といっていい
山を背景にたっています。つまりお参りしようとすると
自然と少し坂を上っていくようになっています
そして、鎌倉の寺は、静かな風情を保ってるところが
あるのですが、どうも、裏山を抱えてることに
その秘密がありそうです


寺、といえば、鎌倉の寺が刻まれてる自分としては
法然院はとても、受け入れやすい、風情をたたえていました
そしえ、法然院の茶室で、しばらくひとりになれたのも
うれしいことでした


三十六歌仙の導きと、法然院の自然にふれると
歌の世界が恋しくなった、のは、ありますね
でも、なかなか敷居が高い、ことでもあります