責任と可能性

人生ってなんでしょう


社員と話していて、自分の人生に責任を持つ
そういう自分でいたいですね、という話がでて
えらく、うれしく思います


経緯はこうです
もうずいぶんまえだけど、そのとき親しくしていた
会社の役員の人と話していて
「技術者にほしい、資質とは、責任感、だね」と
一致したことがあってね、という話題になったのですね


いまでも、私としては、かなりその意見にいいなと
思うところはあるのです
この「技術者」を、「いっしょに仕事したい人」と
言い換えてもいいと思います


また、それに続けて、医者が、なにか具合の悪い人を
みて、直したい、という気持ちが起こるということ
その直したい、という気持ちをもつ、そのことが
プロのプロたるゆえんではないか?


コンピュータ技術者であれば、コンピュータにしかけを
作ることで、ある仕事をうまくいかすことをしたいと
感じる、そうしたいと思う、気持ち


その気持ちを持って、仕事するのか
その点が、その職業につく人の、存在意義といっていい
のではないか?


そういう話をして
そのとき、相対していた、社員は
責任って、人生に対する責任ってことにならないですか?
と確認してきてくれたのですね


確かにそうなんでしょう


自分がどう生きたいか
自分の人生を、どんな人生と位置付け、そのことに
どう自分は、向き合っていくのか
このことが、見えてる、人というのは、仕事自体変わるのだと
感じました


若いときというのは、可能性があります
今後、その人が、いい仕事をするという可能性、素晴らしい出会いが
あるという可能性、人を育てる、可能性、ある人と、いっしょに
事業を成功させる、可能性。


前に、このブログにも書いたし、社員の人に直接、伝えたこと
若いとき、20代というのは、まわりが寛容に接してくれるもの
それは、まだ、経験の少ない人に、寛容ということも
あるけれど、人によっては、損得勘定も入るのでしょうが
その人の可能性にかけて、今後に期待して、やさしく
接してくれる、ということがあるのでしょう


そして、若いときは、やはりその可能性になかなか気づけない
気づいたとして、その可能性の先にある、自分に近づく努力を
継続してやるということは、相当難しいといっていいでしょう


難しいから、やらないのではなく
やっぱり、時間がかかってもいい、自分を磨き
いままでできなかったこと、について、ちょっとずつでも
できるようになり、また見える世界を拡げて言って
ほしいと、強く、希望します