いわさきちひろ

いわさきちひろの展覧会を見ました


安曇野に、いわさきちひろ美術館があって
見たことがあります
そのことが、安曇野を愛した画家としての
インプットが自分にあるので
とても、親しみを感じます


そのことは、安曇野という親しい友人を
通して、その人と親しくしてるなら、いい人に
違いない、という、友人関係のような
そんな、気持ちから、ですね


絵がうまいとか、いい、とかいうのは
実はそんなには、わからないのです


好きな画家である、東山魁夷
東山魁夷の、京都を描いたいくつかの絵に
しても、山を描いた、海を描いた、唐招提寺
襖絵にしても、いい、とはっきり、自分で
認めることができます
もっとも、「絵」そのものの、すごさ、技術だったりは
あまりわからないのです
感じてる、というレベルです


いわさきちひろの絵は、確かに、子供がいい感じとは
思いますが、手元におきたいというようなレベルで
感じるものがあるのか?というと
そうでもないのです


実際の絵を展覧会でみてから
NHK日曜美術館で、取り上げられていたもの(録画)を
みてみました


自画像の、鉛筆画、ほおづえをつく男
そういう、印象として、「暗さ」がある絵を
取り上げながら、いわさきちひろの、内面にあったもの
というのを、解説する場面がありました


「時代背景」といっていい、戦争に翻弄された、20代までの
いわさきちひろの、人生。それは自分の祖母であり、父母も
まさに重なっている、自分として、ある程度リアルです
そういう意味で、むごい、悲しい、出来事をまともに
うけとったら、きっとこうなのかなと、思う、「暗さ」でした


そこに、留まらず、いわさきちひろ、は、「誰が見ても、かわいい」
「好ましい」子どもの絵を描きつづける、ようになるのですね


会場には、自分より年配と思える、女性の姿が多かったのが
目につきました
少し同じ時代を生きた、人として、眺めてるのか?とも
想像しました


こういう展覧会は、絵そのものより、いわさきちひろがどう生きて
あの絵を描くように、生ききった、軌跡の展示といえる
かもしれません


自分で、画家の回顧展といった展示にふれると
作品も、みてるつもりですが、生きた、生き方
その人の、人そのもの、人生にひかれてる自分がいることに
気が付きます
そういう意味では、今回の東京ステーションギャラリー
展示の意図は、近いものがあるのですが
そんなに、そこに迫れず、また絵自体にも、近づけない
そんな気持ちでいました