チームビルディング

青春もの、と呼ばれる、ストーリィの
ひとつのパターンに、スポーツで感動し、感動のなかに
ひとりひとりの成長がある、という、いくつかが
あるのを、知っています


実際、10代とか、自分がスポーツチームにいる
その対象と重なるときには、スポーツに自分が入れ込んでない
ということもあってか、そのストーリィ自体に感情移入した
ということは、あまりないのです


スポーツではないですが、その類のストーリィで楽しんだ
ということでは、「下町ロケット」があります
できるか、できないか、もう少しで、手が届く成功に
向かって、主人公も、主人公をとりまく、家族、従業員
協力者、ライバル、また邪魔をする、悪役、それぞれ
はらはらさせながら、ストーリィが進む


ドラマと人生を、くっつけているというのは
幼稚だと、あるとき思っていましたが、ドラマから
拡大解釈して、自分の気持ちのうえでのエネルギーに
できることって、いいじゃないか、といつかからか
考えます


感動があるから、仲間が気持ちを通わせるのです
なんとか、やりたいという、達成にむけての、いろんな
ハードルを越える、ドラマティックな瞬間を、みんなで
迎え、みんなではらはらするから、いいのですね


同じ思いを、もつということが、チームビルディングには
必要、かなと思うときであります


いま、生きてる10代、20代、30代、その人たちは
生活が苦しいということを、実感できずに生きてきた
そういうことがあるでしょう
実際、50代である自分も、実態の生活ということで
苦しい思いをしたことは、まずはないといっていいかも
しれません
ただ、想像しやすい、環境があったといっていいかも
しれないです。それは親の世代は、戦中、戦後の苦しい
時期を生き延びた世代だったりして、そういう世代が
日常にいっしょに暮らすということは、そのときの実態が
苦しさがなくても、会話や考えのなかで、そうした影響は
あります


なにか、困難があって、それを乗り越える
生活自体に、その感覚がないとしたら、わざわざ、そのハードルを
自分で設定するということが、必要となります
そこに、差がでやすい
わざわざ、自分をトレーニングしようと、ハードルを設定すること
自体、そこそこ、いろんな意味でのレベルがあがらないと
できないことだからですね


そして、チームビルディングに、そうした、自分にハードルを
設定することが、やっぱり重要な要素となるとしたら
これまた、レベルがあがる、話に見えてきます


それは、そこそこあたってるとも思うのですが
少しの工夫で、ある程度は乗り越えられる、部分があると
思っています
その工夫をする、後押しはできるつもりなんです