とらわれてること、気づいてるか

人間は、なにかにとらわれて、生きていますね
そのとらわれてることを、いったん、忘れよう
と、思ったりしても、そうそうはできないのが
人間かもしれません


このトシになって、恥ずかしいことかもしれませんが
父親の生き方に、とらわれてるのを、ときどき、感じます


「きまじめなところ」「物事をはっきり、言いたいところ」
こうしたところは、きっと、父親のあれこれが、くっついてると
思うことが多いのです


ごくごく、親しくしてる人が、子供が自分と同じ
職業についたということを、話してくれました
子どもは、親のいろいろを、見てるものです


10代、20代のころは、親に反発を感じていました
自分のなかに、親のような要素があるのが、一面いやだった
から、だから反発も感じたということでしょう


それから、自分のやりかた、自分の生き方を、模索してきた
つもりもあるのですが、思い返すと親のなにかは
ずっと影響与えてると感じます


とらわれてる、そういうことは、ここ最近、「拡大解釈」が
そこそこできるようになったと、思っていますが
そこに、入り込むこと、それがとらわれてることが
多いと気づくことがあります


自分の生き方を、さがす・・・私は人材育成を、一番に
思っています・・・人材育成、コミュニケーションが大事です
見る、聞く、話す、書くこと
特に「聞くこと」
深く、傾聴できることは、もうそのこと自体が価値と
言っていいと、感じています


こうした行為に、実はこだわっている、自分を
感じます


なにか、課題があるとしましょう
プロジェクトで、進捗が遅れだした・・・
これは、リーダとメンバーのコミュニケーションの
問題だ、と、とらえます
実は、コミュニケーション以外にも、そもそもの見積もりは
どうなのか?また、そもそもの顧客の要求自体
受け取り損ねてないのか?
コミュニケーションの前に、リーダの資質、メンバーの
モチベーションはどうなのか?


こうあげていくと、どれも満点なんてことはない
ことがほとんどですから、すべて、間違ってるとは
言い難い。自分はコミュニケーションを着目しがち・・・
ここにこだわる・・・


人は、こだわりで、生きてるもの
ただ、こだわりにとらわれてるのが、逃れられないと
したら、せめて、とらわれてる、そのことは認めて
知っておいて、かかってみたらどうだ
河合隼雄、「カウンセリングを語る」から)


そのことも、思って、ここまできて
とらわれてる、自分に気づき、これは後から
気づいてるぞと、反省したり、の日々なんですね