指導という理想

社員が社員を評価するということって、とっても
大事だと、思います


ひとつめ:まず、社員がどうなってほしいのか
考えることが、いいのです
技術者は?社員は?どういう存在であってほしいのか
なにをどう、する?仕事への取組、他社の人との
関係、どう振る舞う、どういうイメージの存在で
あってほしいのか、いっしょに知恵をしぼるのです

ふたつめ:評価する社員の、会社に対する、所属する
意義の醸成

みっつめ:評価者、被評価者ともに、さらに上位の人との
やりとりの増加


評価ということに、取り組み始めて、実際、行き詰ったことが
あったのですね。そういうとき、ちょっと開き直って
「人間を人間が評価するなんて、難しい。だって人間は
神様が作ったんだから。神様が作ったものを、人間が
評価するなんてねぇ」とかつぶやいて、少し気が楽に
なったことを、思い出します


ちょっと、話題を変えてみます
つい、先日、現場で指示だとか、相談にのるだとか
相手の指導ということは、するけど、同じ相手でも
評価するのは、敷居が高い、やりたくない
という話を聞きました


おっと、ちょっとちょっと、まずいなと思うとともに
待てよ、と、考えたのです


指導はするけど、評価はいやだ
これ、指導ということを、しっかり考えてくれてない?
ってことにもなるね


指導ってことを、意識してくれるのなら
長期の視点ということが欠かせません
一定の長期の視点をもって、相手と向き合う
これは、(当社の)評価の観点と相当部分が
重なるということにもなります


また長期の視点をもって、相手に接しなければ
おそらくは、大事な相手の将来に向かってのいくつかは
たいへん、危うい、状態になるでしょう
ちょっと、考えてもらえば、わかります
今日、なにかミスをした、相手にどう接するのか?
その場の、なにかが直せればいい、そういう態度で
接したら、はたしてどうなってしまうのでしょうか?
責任ある態度で、仕事するということと、はずれて
しまうのは、想像に難くない


「ちょっと考えれば」評価と指導はセットで
考えてほしいことは、明白です

社員であれば、会社が一定のところ、いい状態を保つ
長期にわたって、自分が存在し続けること、これを
前提に、行動する、やっぱり、前提としなければ
話が、おかしくなっちゃうね