誰かの役にたちたい

今日、東日本大震災から8年ですね
このときのあとのボランティアの活躍のとき、
また、阪神淡路大震災のとき、のボランティア
すごいな、と思うのと、同時に
「誰かの役にたちたい」
これ、いまの人の「切実な」思いなんだと
感じました


私たちは、コンピュータシステムの仕事を
しています。システムの仕事は、だいたいは
複雑で大規模です
なぜか?一義的には、複雑で大規模なことを
コンピュータ処理するというのが、その目的な
ことが相当数あるからです
単純で、規模が小さければ、手作業でできます


そうしたときに、システムの仕事に携わっていると
自分がどんな立ち位置で、どんな役割を担ってるのか
わかりにくい。いったん理解したと思っても
日々の仕事のなかで、実感しづらいということが
あると、感じます


特に、若手だったりすると、なにか手ごたえを感じる
仕事をしてる人の、補助の仕事ということが
相当な割合です(「マネージャーの仕事はたった、ひとつ」
by 高木晴夫)
補助の仕事してる人は、手ごたえ、つまり役にたってる感を
感じるのは、とても低いのが普通です


誰かの役にたちたい


一定の大手の会社、大手の会社でなくても
なんらか、大手が路線をひいてる、そうしたグループに
はいっての仕事となると、すでにフォーマットは
あって、ルートもひかれていたりして、自分が
なにかを、作ったということは、あまり感じられないことが
多いものです
販売、営業ということも、そうです


誰かの役にたちたい


仕事で感じるためにはふたつ、方法があると思います
ひとつめ:手ごたえを感じたり、判断したり、できる
ポジションを得ることです。システムの仕事に入って
なにかに習熟するということは、そのことで、なんらかの
権限をもつものです(当社の管理職会議より)
そうなれば、一定の割合の仕事のなにかの判断をする
という意味では、範囲は極めて限定、一部かもしれないですが
やっぱり、判断ということが伴います


ふたつめ:自分の想像力であり、想像力からみえるイメージから
感じる力を、研ぎ澄ますことです
複雑で、規模が大きいシステムでも、たどっていけば
社会のインフラっぽい、こういうことで役立ってるということは
見えてきます。自分が作り、自分がテストし、自分がメンテ
してるシステムが、言ってみれば、サプライチェーン
こうした、パイプとなり、商品が並ぶということを
支えてるんだな、であるとか、金融機関において
ひとりひとりの財産を管理するうえで、ほんの一部かも
しれないけど、信頼のもとになってるんだということが
想像でき、かつ、ポジティブに役割を評価するのですね


誰かの役に立ちたい


仕事していくということは、自分で自分にOKを出し続ける
ということで、ほんとうに大変だと思います
でも、やり方がある
もうひとりの自分と合意する方法って、あるものです