自分がやってる、という手ごたえを持つ

昨日、ひとりの社員と話していて、言ったことが
あります
その社員は、いまの感染症関連、公共の仕事をしています
いま、起こってること、また、どんどん状況が変わる
ということで、緊急性が作ってる現場にもあると聞きました
具体的には、今日、変更の指示がでて、そのリリースが3日後
といった、ハイペースで仕事が進むということ


その社員にいったのは、まさに「今困ってる人の助けになる、仕事だね」
ということです


ときどき、思うのですが、システム開発の仕事、社会インフラに
近いこともやっていて、やりがいもあると思います
ところが、リスク分散であり、負荷分散の考えから、分業が
すすんでいて、なかなか、自分がやってる仕事の直接の
手ごたえということが、感じられないことが多いのです


ここが、システム開発の仕事のいやらしいところです
システム開発、システム自体が大きく複雑になる傾向が
あります
そもそも、単純で小規模な仕事だったら、お金をかけて
システムにするという考えからはずれるのです
そこで、一定以上の規模になる。そうなると、一人の人の
なにかということは超えますから、仕事をわけることになります
まだ、全体が見渡せるような分けた状態なら、いいのですが
だんだん、わけていくことによって、全体というのは、やってる
人は遠ざかります


そういう傾向のある仕事で、冒頭に書いた社員は、少なくとも
緊急性というのは、社会が求めてるのはわかるし、事実自分の
ごく近くで、短納期でここまでやらなくてはならない
というのは、感じています


仕事は、共通のことがあると思っています
難しさがある仕事、急ぎの仕事、そして世の中の要請が
見える仕事。まだ、あります。間違いがあってはほんとうに
困るということで、何重にも考えをまわして、テストする
なんてこともあります


そういういくつもの経験をして、この仕事にはどういう要素が
あり、目的に近づくために、どうしたらいいかということを
考えらるようになるのではないでしょうか?


今回の話題の社員に言いました
あなたにとっていいことは、それだけ緊急性のある仕事について
いっしょにやろうという、まわりの技術者の感じ方を
理解することです
つまり、まだトータルで経験少ないその社員に「自信」として
もっていい、状況なのだと、言いました


よく、建設関連の仕事をしている人から、あの橋は俺が作ったんだ
あおのビルは、おれがやったんだという、自慢の声があがる
という話がでます
これは、大事なことです
たとえば、その人は、本当に作業者で、単純にその橋を作るときの
資材を運んだだけ、かもしれない。だけどその役割は、もちろん
無駄なんてことはなくて、作る行為の一環にはちがいない
そうしたら、「おれが作ったんんだ」といってもいい


つまりは、当事者意識をもって、どんな仕事もかかることが
価値なんだということになります


仕事で、なかなか、いい感じの当事者意識をもてない
そういう声も聴きます
分業ということもなかなか、いやらしいこともあります


せっかく仕事するのなら、自分が工夫した、自分がなにか
存在をかけた、ものを、やってほしい
そういう自分をめざしてほしい


少なくともできることは、やってることを再確認
いいことがあったら、それを褒めるということです