過去を変える

過去は変えられる、という話を説明するのに
「マチネの終わりに」 平野啓一郎原作の映画の
なかで、主人公蒔野は、フーガという曲の不思議さを
だして、一度聞いた、最初の印象と、一連のものを
聞いたものでは、変わるものだと、説明します


過去が変えられる、このことは、たとえば、トラウマと
言えるような、痛い、ことが過去にあった人には
とてもいい、うれしいことかもしれないですし
大事な思い出を、抱えている人には、苦しいことかも
しれません


いま、私は五十代後半になり、親しくしていただいた
人のなかで、虹の向こうに行かれた方も、数名、でてきました
そうしたとき、思うのは、過去は変わるということに
あいまって、だんだん、過去は美しいものに近づくという
ことでしょうか


ひとつには、共通の懐かしい、虹を渡った人を知ってる
そういうときに、いっしょに思い出すときに、つい
やっぱり、美しく、楽しかったことを思い出すという
傾向があるということでしょう


どうかすると、ただ、思い出して、うれしいとなって
それで終わると、ちょっと実際と変わってしまいすぎ
ということもありそうです
実際、「利害」といったことにつながっていると
あるとき、むきだしの過去と、出会わなければならなくて
また、苦しいなんてことになることを、想像します


マチネの終わりに、のなかで、もうひとりの主人公
洋子は、いいます
自分が幼いころ、ままごと遊びをした、石があります
その石に、祖母が頭をぶつけて、しまって、それがもとで
亡くなりました。


このことは、幼い、ほんわかした記憶というのが
変わってしまう、例として、扱われます


人間、大事にしてる記憶というのがあって、変わる
というのは、つらいときがあるものです


あるとき、テレビ、ファミリーヒストリーでした
有名人の祖母か曾祖母にあたる人の映像が流れました
そのなかで、その高齢の女性は「人間にとって、一番
素晴らしいことは、歳をとることです」と高らかに
言ったのです
学校の先生をながくなさっていて、ずいぶんたって
退職して、時間もたって、おそらくは80代か
というころに、しっかり、明言したのです


こういう生き方をできるというのは、それこそ
須原らしいことだと、わかります
自分のしてきたことを、肯定、自画自賛ですね


できれば、粉飾決算でない、過去をみつめて
その意味をかみしめ、一方で、気が付かなかった
大事なことを、みつけらえる。そういう態度で
いたいですね